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北朝鮮帰国者問題をめぐる場外乱闘

(文藝春秋社 マルコポーロ 1994年5・6月号)

金武義(きむ・むい)

「日本人は黙っていろ!」を許すな!!
「会の趣旨に納得できない!日本人はわが祖国のことに口を出すな!」
「そうだ!日本人にあれこれ言われる筋合いはない!」
「裏切り者は黙れ!」
「あの女はキチガイだ!キチガイの証言なんて嘘に決まっている!」

集会を進めようとしている人々に、会場内に陣取った一群から、次々に卑劣な野次が浴びせかけられる。”聞くにたえない”台詞とは、まさにこのことだ。主催者たちは、混乱を収拾しようとするので精一杯だ。せっかくの集会が、集会にならない。

「会の趣旨に納得できない」と称して押しかけて来た一団はますます図にのり、耳を覆いたくなるような薄汚いフレーズをエスカレートさせる一方だ。

これが、ぼくと同じ民族である朝鮮人のすることなのか。これが在日同胞であり、ぼくもその一人だと言うのか。

2月21日、東京・カンダパンセホールで開かれた「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・結成集会」の席上で、ぼくはたまらなく嫌な気分になった。

この集会は、朝鮮民主主義人民共和国(いわゆる北朝鮮。以下、便宜上”北朝鮮”と表記する)国内で、「日本から帰国者とその家族」等、住民に加えられている残虐な人権侵害をいくつかの事実に基づいて告発し、一刻も早い改善を求めるという趣旨で持たれたものである。政治・民族問題ではなく、人権問題であり、また帰国者家族の中には、朝鮮人と結婚していた6000人以上の日本人も含まれているなどの事情から、朝鮮人も日本人も平等な立場で参加している。

帰国者の親族が語り始めた

北朝鮮国内の人権状況のひどさについては、以前より在日朝鮮人社会の内々では語られてきていた。例えば、『帰国した肉親から届く手紙は、カネと物を乞うものばかりだ。送ってやるにも限度がある。しかし、送ってやらないと、むこうでどんな目にあわされるか判ったものではない』とか、『帰国した兄弟と、急に連絡がとれなくなった。心配だが、安否を確かめる方法もない』など。

北朝鮮を支持する在日団体・在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は、盛んに

『祖国は地上の楽園』
『帰国同胞も偉大な金日成主席の温かい配慮により何不自由なく暮らしている』

といった宣伝を繰り返してきているが、伝わってくる情報はそれとは裏腹なものが少なくなかったのだ。

ようやく近年になって、全体像が以下のような要因から、おぼろげながら明らかになってきた。国際的人権擁護団体であるアムネスティ・インターナショナルが、同国についての調査を行い、報告書を発行した。 そこにははっきりと、「アムネスティは、得られた情報から判断すると、人権の侵害が同国内で広範に行われているものとみて深く憂慮している」と書かれている。

また韓国へ亡命してきた人々の証言が、次々に公開されるようになった。そして、これまで報復を恐れて沈黙を守ってきた在日の家族の何人かが、ついに自らの親族が辿った悲惨な運命について、公に語りだしたからである。 この集会には数名の遺家族も出席していた。

そういう場であるここに、おそらくは組織的に動員されたと思われる北朝鮮支持の一団が、妨害にやって来たという訳である。

午後1時半ころだったろうか、ぼくが会場に着いた時には、すでに場内は騒然としていた。代表である東大教授・小川晴久氏等が、マイクで懸命に呼びかけている。「集会を妨害するような人たちは退出して下さい!」妨害者は、退出するどころか、その一言にもいっせいに喰ってかかる。

「こんな問題をやっているヒマがあったら、まず日本人は戦後補償をキチンとやれ!」
「これは内政干渉だ!」

ともかく場内に入り、どこかに座ろうと席を探していると、いきなり、

「暴力反対!」 のシュプレヒコールが聞こえてきた。何事かと思って視線をこらすと、なんのことはない。
自分たちで演壇にいる人に詰め寄って行き、体の一部が少しでも触れると、「お、手を出したな!」と言い掛かりをつけ、待ってましたとばかりに騒ぎだしている

だけの話なのだ。そのようなことが数十分繰り返されるのを見ているうちに、悲しみとともに怒りもわきあがってきた。これはもうチンピラのやりくちと殆ど変わりがない。この足並みの揃い方で、”結果として妨害に当たるような行為に及んでいる”のではなく、最初から妨害を目的としているのだということがはっきりと見てとれた。

動員された妨害者たちは、男女とも青年から老人まで、年齢層は様々だった。老人は前列に座り、中年の女性たちはその後ろに、青年たちは立ち上がって歩きまわっている。

この集会に真面目に参加しようとしている者や、主催者たちが腕力に訴えることはありえない話 なのだが (そもそも集会を平穏に進行したいだけなのだ)、彼らは彼らなりに自己防衛を考えたらしい。老人を最前列に置くのは、「年寄りには手をだせなかろう」という判断のつもりなのだろう。

「朝鮮人の真似はやめろ!」

どうにかこうにか、予定されていた金英達(キム・ヨンダル)氏(在日朝鮮人運動史研究者)の講演が始められそうになったところで、ぼくは知人の李英和(リ・ヨンファ)氏 (関西大講師・『在日外国人参政権’92-在日党』『救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク・RENK』事務局長)に、こう申し出た。「見たところ、ただ動員されているだけじゃなく、妨害のやり方も組織的のようですね。だから、英達さんの講演中は、演壇でボディガードをさせて下さい。英達さんに、万が一何かあるといけないから」 李英和氏は「そうだね」と答えた。

キャパ150人の、学校の教室を一回り広げたくらいの、さして大きくはない会場である。演壇と言っても、段差が設けられている訳ではない。中央のマイクに向かって金英達氏が立ち、話し始めようとした。ぼくは、客席から見て右側の端の方に位置を決め、しゃがんだ。

その途端、アチコチから飛びかかった野次は、まさに想像を絶するというか、それまでに聞いたものをさらに上回る内容だった。

「おい、帰化人、朝鮮人のフリをするな!」
「皆さん、アイツの嫁さんは日本人で、朝鮮人みたいにしているだけですよ!」
「日本人になったんだから、もう朝鮮人の真似はやめろ!」

血が一気に逆流する思いだった。ぼくも在日朝鮮人として生まれて、これまでに不愉快な経験はいくらもあった。しかし、この時ほど陰惨な、かつ激しい怒りを覚えたことは、卒直に言って記憶にない。

 金英達氏は動揺していないようだった。怒号がうずまく中、彼は冷静に、戦後在日朝鮮人が北朝鮮に帰国・永住していったプロセスで、本当は何が起きていたのかを、資料に基づいて説明し続けていた。もちろん場内には、妨害者ばかりではなく、彼の講演を聞きたいと思ってやって来た一般の参加者も多数いるのだ。その人たちの願いを、こんな汚い野次を使って踏みにじる資格は誰にもないはずだ。

金英達氏が、大野英達という名前を持っているのは事実である。彼もそれを隠してはいない。その上で、おそらくはいろいろと考えただろう末に、金英達という民族名を用いて研究活動を行っているのだ。

どちらにしろ、それはプライバシーに関することである。他人が干渉すべき問題ではないし、ましてや公の席で差別的に云々される内容のものではないことは言うまでもないだろう。それにそもそも、だからと言って、彼の研究成果に何の関係があると言うのか。

この時、ぼくは妨害者たちの品性を見極めた、と思った。そして、これは放置しておけない、きわめて危険な要素をはらんでいる言動だと痛感した。

種々に汚い言い回しを用いながらも、彼らの発言に一貫しているのは、 要は、

「日本人は朝鮮について何も言うな」

という単純な発想である。

ただ日本人だから、それだけで人の言論を封じようとするなら、これは疑いなく「差別を目的とした、明らかな差別発言」にほかならない。日本人からの朝鮮人差別が決して許されてはならないように、朝鮮人からの日本人差別も許されてはならない。自明のことだ。

また、彼らは偉そうに『暴力反対!』を叫んでみせたが、そういう彼らのしていること自体が、立派な言葉の暴力ではないのか。

差別をする人間は、第三者からは差別を容認する人間だと見なされても仕方がないだろう。そしてそれは、自分たちへの差別を助長する道にもつながってゆきかねないのだ。

金英達氏の講演が、殆ど聞き取れないまま10分ほど進んだ時だろうか。あちこちで小競り合いが発生し、演壇前は押し寄せようとする妨害者たちと、押しとどめようとする主催者たちとでモミクチャになった。ぼくは李英和氏らとともにスクラムを組み、何とか混乱を収拾しようとした。

いらぬ言い掛かりをつけられないため、にらみ合いの姿勢になるのを避け、背中を妨害者の方に向けておいた。その背中を、誰かが強い力で押した。体のバランスが崩れた。両手が塞がっていたので、倒れるのを防ぐことが出来なかった。ぼくはモロに額から床に転倒した。

痛かったからよく覚えていないが、一瞬、場内が静かになったような気もする。「そちらこそ暴力をやめろ!」と誰かが怒鳴った。また、場内は騒がしくなった。

知り合いの若い女性が抱き起こし、介抱してくれた。名乗りを上げている家族の一人である、熟年の女性が、慰めの言葉をかけてくれた。

ボディガードをかって出て、自分が人に心配をかけ世話を焼かせてしまうという、実に情けない結果になった。会場の管理室で額に湿布薬を貼ってもらい、しばらく休養した。

それ以後も散々もめたあげく、会の結成は宣言され、辛うじて集会は成功した。

強制収容所にいる日本人

朝鮮総連の日本語機関紙である『朝鮮時報』は、当日の模様を、こう伝えている。

-----「在日朝鮮人の糾弾で破たん『人権』云々の反共和国団体の画策
(略)『主催者』は小川晴久をはじめとする日本人で構成され、参加者もほとんど動員された日本人だった。彼らは昨年十一月にも、共和国の『人権問題』を云々する集会を開いたが、 その時も在日朝鮮人の糾弾を受けた。
今回、『組織』結成の話を聞いて怒りを覚えた在日朝鮮人が抗議のため会場にかけつけた。在日朝鮮人の抗議と追及に窮した『主催者』は、暴力団風の若い者を動員して力で発言させず、おどしをかけようとした。しかし在日朝鮮人らの糾弾の声を抑えつけることは出来なかった(略)」-----

文中登場する”暴力団風の若い者”とは、一説によるとぼくのことらしい。床に倒された後、マイクを持って、「君たちのしていることを、君たちの子供に見せられるのか!」という内容をかなり興奮した状態でしゃべったのだが、どうやらそれを指しているようだ。小柄で痩せっぽちな体格の持ち主であるぼくを、暴力団風とは光栄というか何というかなのだが、まあそんなことはどうでもいい。

当日の一部始終を目撃した者として、この記事に批判を加えようと思えば簡単である。だが、それより興味深いのは、彼らの主張が、ここでも「日本人」と「在日朝鮮人」を安直に分け、

在日朝鮮人は正しく日本人は悪い

と決めつけて事足れりとしている点だ。会の趣旨がどう間違っており、どのような糾弾が行われたかは、一言も言及されていない。

日本人とは、誰も彼もそんなに悪い国民なのか。それならば、果たして彼らは、日本人が集まって、北朝鮮賛美の集会を持ったとしたら、やはり「日本人の集会だから信用できない」と主張するつもりなのだろうか。

おそらく、その時になったら逆だろう。実はこれまでにそういう集会も多くあったが、同紙の論調はおしなべて「すばらしい朝・日人民連帯の集まりであった」云々といったものであった。

自分に都合のいいものは、連帯都合が悪いものは、日本人がやっているからそして、それだけで収まりがつかない場合、すなわち在日朝鮮人が、彼らの言う「反共和国」の側に参加していたならば、その人々は全員、何の根拠も明示されないまま、突如「韓国国家安全企画部の手先」にされてしまうのである

この日の『朝鮮時報』でも、李英和氏、金英達氏の2人は名指しで、もちろん何の具体的証明もされずに、「安企部との関係が指摘されている」「安企部との関係がとりざたされている」と書かれていた。

報道の名にも価しない、幼稚な言説と無視すべきかもしれない。そんな程度の、レベルの低い連中なんだと、相手にしなければいいのかもしれない。

しかし、そうはいかない。彼らのこの思考パターン、常套手段は、これ以上放置しておくと、近い将来、朝・日両国民の関係に新たな火種を作り出すことは必定だからだ

戦後、朝鮮人は日本の植民地支配から解放された。だが、日本での生活は殆ど改善されなかった。相変わらず、何をするにも差別がつきまとい、日々の暮らしは困窮していた。そのような状況下で始まったのが、「北朝鮮への、帰国事業」だったのである。両国政府が在日朝鮮人の出国・受入れについて合意し、実際に運営したのは朝鮮総連である。

1959年12月14日に、第1次帰国船が新潟港を出港。以来、今のところ最後である84年7月25日の第187次帰国船まで、累計にして9万3339人が集団帰国している。そのうち、朝鮮人の配偶者と行動をともにした日本人家族は、わかっているだけで、6642人。

彼らが、北朝鮮で平穏に暮らしているのなら、特に問題はなかった。別にそこが、

『この世にうらやまぬものはない、地上の楽園』

ではなくても。

ところが、事態は逆だった。消息不明になってしまうケースや、早期に死を遂げたと思われるケースが頻発したのである。

公表されている資料に基づいて、芝田孝三さんという日本人男性の例を見てみよう。随伴した日本人家族は、女性――いわゆる日本人妻が大多数の中で、芝田さんは、珍しい日本人の一人である。

東北大卒の労働省職員だった芝田さんは、高松に赴任中、在日朝鮮人女性の申性淑(シン・ソンスク)さんと 恋愛、結婚した。1960年、申さん、2人の子供に同行して、北朝鮮に渡った。彼の決断は当時のマスコミにも取り上げられ、「愛は38度線を越えて」「日鮮かけはしに」等と話題になった。彼自身、発表した手記の中で、在日朝鮮人への差別にいつも胸を痛めていたこと、未来の感じられない日本よりも、妻の祖国である北朝鮮に渡るべきだと決断したこと、などを語っている。

ところが、わずか2年後の62年10月にはスパイ罪で捕らえられて、強制収容所へと送りこまれていたのである。 逮捕の”根拠”は、申さんの高松での下宿先が、日本の公安関係者の家だった、だから芝田さんも日本のスパイである、というお粗末なものだったらしい。

その、お粗末な、根拠にもならない根拠で、2年間も厳しく取り調べられ、下された判決は20年の拘禁と強制労働。一人の日本人青年が思い入れ、人生を託そうとした国家の仕打ちはあまりに残虐だった。これはまさに、彼の心情に対しての、国ぐるみの裏切りではないか。

84年に刑期を満了しても、芝田さんは釈放されなかった。当局は彼に、「釈放しても、与える仕事がない」という、 またも理由にならない理由をつけて、拘留をし続けた。90年、勝湖里政治犯収容所にいたという情報を最後に、彼の消息は判っていない。

これはあくまで、事態が確認出来た一例である。他の日本人妻たちも、芝田さんのような悲惨な運命を辿らされたらしいという話は、決して少なくない。

芝田さんは、もし現在生きているなら、64歳になる。

日本人差別と帰化人差別

東京の集会から約2週間後、名古屋・YMCAホールで、「帰国者・家族を助ける愛知の会」が開かれた。

代表をつとめる、愛知県立芸術大学で法学を教えている萩原重夫氏が、「では、ただいまより・・・・・・」と言いかけたところで、一人の老人が、「質問!」と叫んで萩原氏に詰め寄り、そのまま紛糾状態とまった。開会わずか30秒である。ぼくは、騒然としている場内を歩いて、妨害者たちにも話を聞いた。

男性、自営業。「私にも帰国した親族がいるが、みんな元気で健在です。だから、このような集会には納得出来ない。人権侵害に関しては、私はよく知らない。あるとも言えないし、ないとも言えないです。ええ、集会での暴力については、確かに言葉の暴力は一部あったと思います」
男性、20代。「帰国者は全員、幸せに暮らしています。この会の連中の言っていることは全部、嘘です。ぼくに言わせれば、 共和国の国内問題であり、日本人があれこれ言うことは内政干渉です」

それでは、どう嘘なのかを説明してほしいと要求すると、

「その証拠に、ぼくの親戚はみんな元気に生活しています」

とのことだった。

やはり男性、当初は「愛知の朝鮮総連国際部長」を名乗ったが、あとになってなぜか「国際部長ではない」と取り消した。「李英和や金英達の後ろには安企部がいるんですよ。だから、これは謀略組織です」

なぜ安企部がいるとわかるのか教えてほしいと尋ねると、

「それは総連の中央に聞いてください」

 開会からしばらくたって、混乱はますますひどくなってきた。東京の時と変わらない差別発言が四方から放たれる。自分たちの身内ではない人間には誰彼構わず、

「お前は何人や、言うてみい」
「日本人か」
「朝鮮人か」
「恥ずかしい朝鮮人か」
「帰化人か」

一体、「恥ずかしい朝鮮人」とは、どのような人間のことなのかよく判らないが、ぼくに言わせれば、日本人や帰化した人を差別し、集会の妨害に精を出す輩の方がよほど「恥ずかしい」と思う。

あまりの混乱に、警官がやってきて、主催者たちは、”これ以上は、会場側の迷惑になる”と判断し、集会は約1時間で中断した。

日本人差別。帰化人差別。ひたすらそれのみを繰り返し、何がどう嘘なのかを教えてほしいとお願いしても、それには殆ど答えられない。東京でも名古屋でも共通していたのは、その点だった。

大阪の集会は事前につぶす。

後日、ぼくは東京・大阪を巡り、改めて、萩原重夫氏、李英和氏、それに数人の在日の若者の話を聞いた。萩原氏は言う。「人権問題については、国籍、民族を問わない国際的関心事項であるというのが、近年、確立された概念です。つまり、どの国の人間が北朝鮮の人権状況に懸念を表明しても、それは内政干渉にはなりません。北朝鮮も、国際人権規約を批准しているのですから、例外にはならないのです。集会で彼らがとっている妨害行動は、それ自体が、北朝鮮では人権侵害が公然と行われていますよ、という状況証拠のようなものですね。自分たちにかけられている嫌疑を、真正面から否定出来ないと自白しているようなものですから」

李英和氏は、こう語る。「彼らは、ぼくたちの集会に来てはああやって騒いでますけれど、北朝鮮の状況については、実はちゃんと知っているんです」

李英和氏は、名古屋の集会の直前、朝鮮総連の監察委員に呼びだされて話し合ったという。その席上、監察委員はこう言った。

「名古屋の集会は、つぶす。大阪(本誌発売のころには終わっているが、大阪でも4月15日に集会が予定されている)は、事前につぶす。集会そのものを開かせないようにするからな」

李英和氏は、「どうされても、ぼくたちは集会を開く」と答え、それからこう反問した。「時代の流れで、もう少しで北朝鮮は民主化される。その時、あなたたちはどうするつもりなのだ?散々苦労させられた帰国者たちも帰ってくるだろう。ただですむと思っているのか?一体、どこに亡命するつもりだ?」

それまで強気だった監察委員は、急に黙ってしまったそうだ。

北朝鮮を訪問したことのある女性は、「その人が信じたいんだったら、金日成を信じたらいい。けれど、帰国者や、日本人家族、それに北朝鮮の住民を犠牲にしての信条なんて、やっぱり許されるとは思えない」と語った。

朝鮮総連の大学組織に所属している若者は、「あの集会は、悲しかった。南北分断後、50年もたって、まだ身内でもめごとを作り出しているんですから。総連はいつも、敵を作る方法で、内部の矛盾から眼をそむけさせようとするんです。この場合は、日本人を敵にしてみたんでしょうね。そんなの、劣等感の裏返しでしかないですよ」

看護婦をしている若い女性は、「あの人たちは、ものを考えないで生きているように思える。前も後ろも右も左も、そして未来も見ないで、よく生きてゆけるなあ。悲しみを通り越して、うらやましいですよ」と述べた。

まだ日本ではあまり知られていない日本人家族の問題が表面化した時、一般の日本人はどう思うだろう。ぼくの懸念はそこにある。在日朝鮮人に無差別に、憎しみが浴びせかけられるのではないだろうか。今は、日本人・朝鮮人で区別しない方がいいのではないかと思う。それよりも、人権を擁護したい人、既得権の方が大事で人権は蹂躙しても構わない人、まずはそう分けた方がいいのではないだろうか。

妨害者たちは、明らかに後者に属する。彼らのおかげで、今、北朝鮮の人々の苦しみが助長され、将来、在日同胞の全てが災いに巻き込まれるのかもしれないのだから。

妨害ゴッコをしている暇があったら、北の獄中で呻吟しているだろう芝田孝三さんたちを救出するために、何かをすべきなのだ。

今から宣言しておく。祖国北半部が民主化された時、どんな言い訳をしても、ぼくは許さない。君たちの一人一人に、きっちり、応分の責任をとってもらうつもりだ。

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