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金武義(きむ・むい)

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金武義(きむ・むい)

1961年生まれの在日3世。各種サービス業、肉体労働等を経て、フリーライターに成る。

ところで鹿砦社の松岡利康氏は、1999年11月4日の日記 で、『週刊文春』の『疑惑の副学長“追及記者”が怪死した!』という記事を取り上げている。

これは、大阪経済法科大学をめぐる数々の疑惑、とりわけ朝鮮総聨との関係、 北朝鮮の付属大学ではないか等々に対するキャンペーン記事である。問題は、「原因不明の死」とされている金武義金武義(きむ・むい)氏だ。

今週号の『文春』で、もう一つ目をひいた記事があった。『疑惑の副学長“追及記者”が怪死した!』という記事である。
これは、大阪経済法科大学をめぐる数々の疑惑、とりわけ朝鮮総聨との関係、 北朝鮮の付属大学ではないか等々に対するキャンペーン記事である。しかし、これだけでは、べつに払の関心を惹くものではない。
この記事で「原因不明の死」と書かれている金武義(きむ・むい)という人の名が、 数年の年月を越えて登場したことに目を見開かされたのである。
きむ・むい氏は、95年の夏に自宅アパートで亡くなった。この際、それ以前からの 薬物中毒が原因であったということは聞いていたが、それでも、今回の『文春』の 記事に書かれているように、ノート類の一部が紛失していることも事実として耳に入っていた。その前に、北朝鮮や総聯関連の取材を重ねていたこととも関係があるのでは…。といったことも、陰ながらささやかれてはいたが、それも推測のレベルで終わっていた。 このように、あらためて具体的に追跡されていけば、疑惑は深まるばかりである。
なぜ、私がきむ・むい氏の記事に関心があるのかといえば、生前、われわれの プロレス雑誌『プロレス・ファン』(現在休刊中)の最初の頃、金兄弟(彼には弟がいる) に手伝ってもらっていたからである。
いま、手元に『プロレス・ファン』の4号〜6号がある(92年6月〜同年11月)。ここで、きむ・むい氏は「報復の化学」という 連載を書いている。この頃の執筆者には、板坂剛氏、鈴木邦男氏はむろん、竹内義和氏、 まだ無名の時代の高山文彦氏などがいる。6号では、井田真木子さんが、女子プロ最強レスラー 神取忍と対談をやっている。
その連載第1回で、きむ氏は、次のように因縁深いことを書いている…。 「別の総合月刊誌の担当者が言ったことを、今でも思い出す。 ばくはSWS(注・メガネスーパーが作ったプロレス団体。現在はない)について書こうと思い、 打ち合わせの席上、そのプロットを話そうとしたのだが、彼はロクに聞きもしないで斬って捨ててくれたのだ。
『プロレスって、何が起ころうとしょせんコップの中の嵐って感じなんだよね』
結局、ぼくはその雑誌に、某在日朝鮮人団体の内情を取材したレポートを書くことになった」…。
きむ氏は3回の連載の後、「頭がショートした」という理由で『プロレス・ファン』から離れた (くだんの連載は弟が引き継いで書いたこともある)。入退院を繰り返していたとも、 郷里でリハビリを行っていたともいわれる。その後、『話の特集』(現在廃刊) でソープランドの店員になった体験レポートを書いたりしていたことまでは記憶にあるが、 そして突然の死である。
10月28日、大阪経済法科大学は『文春』を提訴した。 いずれにしても、きむ・むい氏「怪死」の真相が明らかにされることを望む。

金武義(きむ・むい)氏は、1995年の夏に自宅アパートで亡くなった。以前からの薬物中毒が原因であったとされたが、ノート類の一部が紛失していることも事実であり、金武義(きむ・むい)氏の弟や友人らは不審に思っていた。金武義(きむ・むい)氏は、大阪経済法科大学をめぐる数々の疑惑、とりわけ朝鮮総聨との関係、北朝鮮の付属大学ではないか等々を取材し、記事を書き始めた直後に亡くなったのである。ここに着目し、北朝鮮や総聯関連の取材を重ねていたこととも関係があるのではないかという内容だ。10月28日(週刊誌の号数と実際の日付にズレがある)、大阪経済法科大学は『週刊文春』を提訴した。

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