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幻に終わった森前首相「訪朝」で、“愛人外交”を演じた有名銀座ママ

(週刊新潮 2002年9月19日号)

歴史は夜、作られる。外交の舞台裏には女の影。電撃的な「小泉訪朝」の端緒となったのは、2年前に画策された「森訪朝」プロジェクトだ。森首相は極秘に北朝鮮とパイプを持つジャーナリストと接触したが、その橋渡し役を担ったのは、彼が寵愛していた銀座の高級クラブママ、田村順子女史だった。

むろん、正攻法で攻めるばかりが外交ではあるまい。時には権謀術数をめぐらし、奇手、奇策によって国益の実現を計るのも当然だが、まさか愛人の人脈で難局突破を試みた総理は、未だかつて存在しなかったのではなかろうか。

時は2000年7月15日午後……。永田町にあるキャピトル東急ホテルの一室で森首相(当時)は、老齢の韓国人女性と密談を行なっていた。極秘の会談をカモフラージュするため、森首相は、わざわざ同じ時問帯にこのホテルで会食の予定を入れ、一人抜け出して、この韓国人女性の部屋を訪れたのだ。

密談の相手となったのはアメリカに住むジャーナリストの文明子女史。母国語以外にも日本語、英語を流暢に操り、西側ジャーナリストとしては初めて金正日総書記の単独インタビューに成功するなど北朝鮮に強力なコネクションを持つことで知られる人物である。

この大物ジャーナリストの説得に応じ、森首相は「北朝鮮訪問の意思」を表明した手書きの親書をしたため、彼女に託したとされる。支持率低迷にあえぐ政権の延命策として、「平壌訪問」を画策したのだが、実は、2人を結びつけたのは外務官僚でも大物政治家でもなかった。銀座で高級クラブを経営する田村順子ママが橋渡し役だったのだ。

森首相と順子ママの関係を事情通が解説する。

「ママと森さんは総理になる5〜6年前からの付き合いです。2人は相当に親しい関係で、例えば、しょっちゅう、森さんはママのお店に顔を出していたし、店に居る時に、他の客が来ると、まるで、自分のお店みたいに"ようこそ、ようこそ"って、挨拶していました。だから、お店の常連や、親しい人たちの間では、2人の仲は知る人ぞ知る公然の秘密でした」

ここで、田村順子ママの経歴を簡単に紹介すれば、22歳から銀座に勤め、24歳で独立。俳優の和田浩治と結婚。政財界に幅広い人脈を誇り、現在は「銀座女帝伝説『順子』という漫画のモデルにもなっている。そんな彼女が、重要な外交交渉の黒子をつとめていたわけだが、ご本人に伺うと、

「森さんとの事に関してはお話しすることはできませんが、文明子先生と知り合ったのは、96年ごろだったでしょうか。知人からご紹介され、仲良くなりました。いつも、ワシントンや東京、北京を行ったり来たりされてましたから、せめて、東京ではおいしい物を食べていただこうと、電話を頂いた時は、一緒にご飯を食べたりしていたのです」

文女史が、北朝鮮政府と極めて近い関係にあることを知ったのはその後しばらく時を経た後だった。順子ママが続ける。

「2回ほど、一緒に北朝鮮に行こうと誘われたことがあるのです。"平壌に連れていってあげるから、ビザを取って北京に来なさい。平壌の観光も楽しんでもらいたいし、金正日総書記に会わせてあげるから"と仰るんです。半信半疑でしたけど、もし、自分が日本の役に立てるならと思って、中国入国のビザを用意したこともあったんですが、知り合いに相談したら、止めておけと言われたり、文先生と連絡がつかなかったりで、実現しなかったけど……」

その後も、文女史との交友は続き、森政権が誕生した3ヵ月後の2000年7月、久しぷりに文女史から順子ママに電話があったのだという。

「7月10日だったと思いますが、突然、"私、東京に居るの。お腹空いたわ"って電話を貰って、私の経営している割烹料理店にお連れしたんです。そうしたら、金正日総書記と手をつないでいる写真を何枚も見せてくれて、"平壌で一命に関わる大きな病気をしたけど、金正日総書記が、とっても気を使って、最高の病院と医者に診てもらうことができた。そのおかげで命拾いしたの"という話をされていました」(同)

自然と話は時の森政権のことへと及び、ついに、文女史は驚くような用件をママに切り出したのだという。

「文さんは、森先生のことを言うときには名前を呼ばずに"エムさん、エムさん"と言っていましたけど、何とか彼を平壌に連れていって、金正日総書記と会談を持つことができないかと相談を受けたのです」

文女史は「自分ならば、正規の外交ルートではないチャンネルを使って、森首相を金正日総書記と会談させることができる。拉致問題の解決も可能だ」と主張して、順子ママにその仲介を依頼。順子ママは知人に相談し、その知人経由で森首相に文女史を紹介した。これが長く停滞していた日朝交渉が動き出すキッカケとなるのだ。

蘇る北朝鮮コネクション

が、いくらトップの決断とはいえ、外務省に一言も相談しなかった森首相の行動は余りにイレギュラーなものだった。手書きの親書を文女史がFAXで北朝鮮側へ送り、外務省へ確認が行なわれたために秘密交渉は露見し、「軽率」という批判を浴びたのだ。

それでも森首相は、年が明けた2001年1月、愛人問題で官房長官を辞めた中川秀直代議士をシンガポールに送り、北朝鮮の第一外務次官と会談をさせたという。

外務省関係者が解説する。

「北朝鮮側は包括的な交渉を再開したいということで、森首相の訪朝を非公式に要請したのです。話を持ちかえった中川代議士は、外務省に相談したのですが、訪朝は早計と言う結論で、外務省は首を縦に振らなかった。その理由の一つは、北朝鮮側が文女史から森さんと順子ママの関係を聞いていて、その弱みに付けこもうとして、あえてイレギュラーな外交チャンネルを使ってきた可能性が否定できなかったからです」

結果、森訪朝プロジェクトは幻で終わったが、では、ジャーナリストの文明子女史とはいかなる人物か。現在の肩書きはワシントンに本拠を置く通信社の主筆。彼女を知るコリア・レポートの辺真一編集長の話。

「韓国が朴独裁政権時代には反独裁の立場のジャーナリストでした。73年にアメリカに亡命し、北朝鮮に通じるようになったのは90年代です。と言うのも、92年ごろ、北朝鮮にはどうやったら入国できるかという相談を彼女から受けたことがありますからね」

別の韓国人ジャーナリストが言う。

「彼女を北朝鮮の工ージェントではないかと疑っている向きもありますが、今のところハッキリした証拠は出ていません。しかし、故・金日成国家主席にも会っているし、政府高官にも強力なパイプを持っています。基本的には北朝鮮の利益を代弁する立場に立つことが多い」

ならば、小泉訪朝に彼女はいかに絡んでいるのか。

再び、外務省関係者の話。

「今回、北朝鮮の交渉の窓口となっているのは、森訪朝計画で中川代議士が会談したのと同じ第一外務次官です。文女史は日本側の窓口だった田中均アジア大洋州局長とも面識があるようですし、8月25日、26日の日朝の局長クラスの会議が開かれた平壌の会場にも姿を現している。経緯を考えれば、文女史が全くノータッチというのはありえない」

事は国益に直結する最重要の外交案件。が、その端緒に疑惑が残る以上、仲介の労をとった順子ママにはお気の毒だが、一旦、白紙に戻すのが筋目ではなかろうか。

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