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メディアの解体−ワールドカップと北朝鮮報道の正体を暴く、メディアリテラシーの新しい波。

(「現代コリア」1・2月号/第428号)

西村幸祐

ワールドカップと北朝鮮問題

二〇〇二年九月十七日に小首相が北朝鮮を訪れ、日朝平壌宣言に署名した。その後、日朝関係の報道が注視されたのだが、十月二十五日のキム・ヘギョンインタビューでフジテレビは安易な目的で北朝鮮の宣伝に利用され、それに当事者が気づかないという大失態を演じた。また、テレビ朝日、TBSで特集される在日朝鮮人の話題は、日本は過去の贖罪をしなければならないという自虐史観で構成され、「強制連行」が在日朝鮮人のルーツであるという誤謬に基づいた放送を半年間にわたって垂れ流している。テレビ朝日の「ニュースステーション」は終戦記念日にも南京事件を題材に一方的な支那のプロパガンダを行っていたが、これもネット上で議論され、抗議が殺到してしまったのだ。その延長線上に十一月六日「ニュースステーション」の放送があった。

ゲストの蓮池透が最後に「一言言わせて欲しい」と切り出した言葉は、じつは日朝正常化交渉が行われた十月三十一日に家族会の記者会見で述べた言葉と同じだった。「私たちは特別な人間ではなく、一国民にすぎません。こんな家族があっても、いいのでしょうか。皆さんも、客観的な報道という大義名分も結構ですがいいかげんに、被害を受けたのはわが国であって、拉致の被害者を帰せと伝えて欲しい」と蓮池透は魂の叫びを慎ましやかな言葉で表した。しかし、朝日新聞などのメディアは一向にこの言葉さえ紹介しなかった。放送の中で久米宏は、「被害者を日本に帰せ」と言ってくれという蓮池透の依頼を「戦争して取り返すということですね?」と歪曲し、彼の心の叫びを無視する暴挙まで行った。

結局、W杯で「韓国を応援しよう」とメディアが叫べば叫ぶほど<受け手>がそうでなくなったように、北朝鮮問題で「在日の人への理解を深めよう」と言えば言うほど、<受け手>はそのメッセージに反感を抱くことになった。理由は単純で情報の内容が精査されていないからなのだ。誤った歴史認識が報道のベースにあるので信憑性が疑われ、仮に<送り手>が意識していなかったとしても、結果的にプロパガンダになってしまう。十一月十五日発売の「週刊金曜日」には北朝鮮政府の意向に添った曽我ひとみの家族へのインタビューが掲載され、これも<受け手>には許し難い事実となった。しかもこの雑誌の編集委員である筑紫哲也がTBSの「ニュース23」でこのインタビューを湾岸戦争でイラクに残って報道し続けたCNNと同列だと言い切り、発売日早朝に警備の眼をかい潜って雑誌を直接渡し、拉致被害者に動揺と恫喝を与えた北朝鮮工作員としての行為まで弁護したことに非難と抗議が殺到した。

しかも、これに懲りず、一カ月後の十二月十二日にまた「ニュース23」で、筑紫哲也は朝日新聞出身者の同人誌「週刊金曜日」の執筆者のレポートを放送し、北朝鮮籍の元慰安婦を登場させた。歪曲されたストーリーで過去の日本を徹底的に悪く描くことで北朝鮮のイメージ回復に一役買ったのだ。 W杯報道と北朝鮮報道のメディアの受容形態を同一視するのは乱暴だとの反論もあろうが、それは<送り手>側の論理に過ぎない。<受け手>にとってはW杯も北朝鮮問題もメディアから送られる情報という点で何の差異もなく、メディア自体への不信感が、昨年六月から今年にかけての半年以上の間に充満して来た状況に変わりはない。したがって、拉致問題が大きくクローズアップされた事により、これまで拉致問題を意識的に隠蔽してきた特定のメディアはネット上で大きな批判に晒されていった。

拉致被害者家族の姿と彼らを支える人々が、まるでワールドカップの日本代表のような訴求力を持ち得たのだ。なぜなら、多くの日本人にとって、失われた家族を探し求めてきた家族会と救う会が「去勢された」平成日本を恢復する一つの方法を提示してくれたからだ。地方都市に住む素朴な日本人の家族愛が多くの人々の胸を撲ち、彼らが待ち続けた二十四年間、いや敢えて言えば、戦後五十七年間で徐々に日本が喪ってきたものの大切さを日本人が切実なものとして捉えたからこそ大きな世論を形成できたのだ。それは、W杯のスタジアムで日本人が感じた素朴なナショナリズムを謳歌する<非日常>にも繋がるもので、「去勢された国」から脱出したいという意識を持った人々が、彼らを北朝鮮に戻すべきでないというコンセンサスを醸成できたのだ。

もしかしたら、拉致被害者たちが20年以上の虐待で喪ったものを必死に取り返そうとしている姿は、日本人が戦後五七年で喪ったものを恢復し、蘇生させようという新たな想いの発火点になったのではないだろうか? そして、彼ら五人の姿こそ、戦後空間を生きてきた日本人一人ひとりの自画像だと敏感に感じ取った人々が、それぞれ思い思いの形で拉致被害者を支援しようと行動を起こし、静かな熱いうねりを起こし始めている。

二〇〇二年の終戦記念日、靖国神社に集団参拝する若者たちの姿があった。その数は百七十人を越えていた。「前日は何人来るか不安だったけれど本当に嬉しかった」と振り返るのは「2ちゃんねる」で靖国参拝のスレッドを見つけ、そこで積極的に呼びかけを行った二十四歳の女性、ボアマロだ。彼女たちは誰の力も借りずに議員会館へ赴き賛同してくれる政治家に趣旨を説明した。集団参拝の申し込みも彼女たちだけで行った。これもW杯の韓国応援イベントでドイツを応援し、テレビ局のイベントに先回りして海岸でゴミを拾った<受け手>たちの新しい発想の流れを汲んだものだ。

「二〇〇一年の韓国の靖国参拝非難と教科書批判を見て何かをしなければと思っていた」

と彼女は動機を明かしてくれたが、ネット上の意見交換はすでに<送り手>の想像できない次元で、<受け手>がメディアの情報を吟味しながらメディアが振り撒く守旧的イデオロギーから自由になった行動を生んでいる。メディアが情報を精査、検証せず、手垢にまみれた固定観念に囚われ、時代遅れの反日イデオロギーから自由になれなければ、「ニュースステーション」の久米宏や「ニュース23」の筑紫哲也ように、<受け手>の嘲笑の対象にしかならない現実がもうここにあるのだ。

(文中敬称略)

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