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メディアの解体−ワールドカップと北朝鮮報道の正体を暴く、メディアリテラシーの新しい波。

(「現代コリア」1・2月号/第428号)

西村幸祐

プロパガンダとしての中田代表引退報道

日韓共に緒戦を戦った翌日の六月五日朝、私は携帯が鳴って驚かされることになる。埼玉スタジアムに飛来したブルーインパルスの事が全く報道されておらず、訝りながらネットで各メディアを読もうとしたときだった。取材仲間からの電話で、朝日新聞が一面で、W杯での中田英寿の代表チーム引退を仄めかす記事を掲載したと言う。私はすぐ事態を理解した。いや、理解したくなかったのだが、どう考えてもそれ以外にその奇妙なニュースを理解する方法はなかった。

サッカーファンであれば取り立てて珍しくない光景が日本対ベルギー戦で繰り広げられていた。つまり、普段Jリーグや日本代表の試合を見ない人にとって、スタジアムの日本代表に向けられる情念と興奮は一種のカルチャーショックだったのだろう。試合前からいたる場所で湧き起こる「ニッポン」コール。選手入場の際に無数の日の丸の小旗が振られ、サポーターグループが巨大な日の丸を観客席が覆われるように拡げ、国歌斉唱。そして、その直後に「空軍」の編隊飛行が飛来する……。よく考えると現在の日本の日常にはあり得ない光景が展開されていたのだった。

いや、あり得ないと言うより、本来なら普通の国で、自然と湧き起こる素朴なナショナリズムが、じつは日常でなかったという日本の異常な状況をスタジアムのパッションが逆照射してくれたのだ。つまり、そういう光景があってはならないと考える人々にとって、この試合の自然なナショナリズムの発露が嫌悪感を抱かせたと考えても不思議はない。朝日新聞の「中田代表引退記事」はそのような文脈の中で造られたのではないかと直感したが、記事を読んで一層明らかになった。「ヒデ『最後のW杯』チームに献身」という見出しの記事はこう続く。

「日本代表でプレーするのはこのW杯が最後だと、中田英寿が周囲に伝えた。決意は固い。国の名誉という鎧を着せられた国対抗の代表戦は、チームのために働くことが優先される。プレーを楽しむことより勝負に執着するサッカーを終わりにし、自分を表現する場を探したい。振る舞いには、最後にかける覚悟がにじむ」(六月五日朝日新聞東京本社十四版)

この記事は署名原稿であり面識のある記者が書いたものだが、私は呆然としてしまった。サッカーを知悉した人間が書いたものとはとても信じられなかったからだ。主旨は代表戦は国の名誉をかけて戦う、しかし中田はそういう試合より楽しい試合をしたいので、もうこれで最後だというものだ。サッカーを全く知らない読者には説得力(?)があったかも知れない論理だ。ところが、少しでもサッカーを知っていれば、中田が所属するイタリアリーグ、セリエAは徹底した守備重視の戦術を採り、個人の自由など、よほどトルシエ日本の戦術の方にあったと言うことも可能だ。特に中田が所属するパルマの戦術は極めて「勝負に執着するサッカー」であり、「プレーを楽しむサッカー」とは懸け離れたものだった。

しかし、問題なのはこの記事が代表の戦意に水を差すもの、と当時サポーターから総スカンを喰った事以上に、「国の名誉という鎧を着せられた」試合は「チームのために働くことが優先され」た「プレーを楽し」む事ができない試合であり、「自分を表現する場」ではないと中田が言ったと朝日新聞が事実を捏造したことだ。

「正直言って、社内でも色々な見方をする人がいました。少なくとも私は、あの記事のようには思わなかった」と、ある記者は打ち明けてくれたが、朝日新聞が「国の名誉」を悪と規定し、その「ために働くことが優先され」る試合は「自分を表現する場」ではないと中田に言わせたかったというのは事実である。多数の抗議が朝日新聞に寄せられ、中田英寿本人も記者会見で「事実無根」と抗議したが、朝日新聞はそれらの声を黙殺した。朝日新聞はその一カ月後の八月二日にW杯報道を振り返る編集委員とスポーツ部長による座談会を掲載したが、中田引退記事≠ノ関しては自画自賛するばかりで、W杯を通してメディアへの不信感が一気に高まったサッカーファンをさらに挑発してしまった。

しかも、この話は落ちが付く。トルシエ退任後日本代表監督に就任したジーコ監督から十月七日に中田が代表メンバーに招集されることが発表されると、翌八日、朝日新聞は山田雄一東京スポーツ部長の異例の「お詫び」記事を掲載した。しかし、その内容は通常の謝罪訂正記事ではなく、文章の主語が不明確な韜晦とも言える内容だった。それでも必死に理解に努めると、あくまでも朝日の報道が正しかったという主張だった。そもそも六月五日に記事を掲載し、直ちに中田本人が「その記事がいったいどこから出たのかわからない。憶測で書くのも多い。今回このW杯期間中に選手、スタッフそしてファンの人達と一生懸命やっているのに残念です」と発言したにも拘わらず、四カ月経ってからの「お詫び」では全く意味がなかった。しかも、朝日新聞は念を入れて十月二十日には二十八面のシンポジウムで今度は秋山編集局長が「お詫び」記事までを擁護した。

結局、朝日新聞は捏造された事実をベースに「国の名誉という鎧を着せられた国対抗の代表戦は」楽しくないサッカーであり、「自分を表現する場」ではないというメッセージを伝えるために、試合翌日の第一面で報道を装ったプロパガンダを行ったということなのだ。

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