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メディアの解体−ワールドカップと北朝鮮報道の正体を暴く、メディアリテラシーの新しい波。

(「現代コリア」1・2月号/第428号)

西村幸祐

二〇〇二年は文化と政治の両面で、東アジアを舞台にした世界的な出来事があった年として記憶されるだろう。それは、日韓W杯開催と日朝平壌宣言の調印だった。この一見脈絡のない二つのものが、日本の置かれた文化的、政治的状況を同時に浮き彫りにすると共に、日本のメディアが抱えた脆弱性と問題点を美事に明らかにしてくれた。今まで見えなかった日本と朝鮮半島の関係が白日の下に晒されたのだ。その結果、W杯が行われた六月からの半年間で、二〇〇二年は、文化、政治の両面からメディアの正体も暴かれ、かつてないほど信頼性を低下させる年になったのである。

「釜山で韓国の緒戦があった時、メディアセンターのボランティアの女性が興奮して言うんです。韓国対ポーランド戦を街頭放映で観ようと集まった市民たちは一試合前の日本対ベルギー戦を観ていたわけですが、その中の一部の人々が日本を応援していたと言うんですね。それが、凄い驚きだったと」

開幕戦から一カ月以上韓国で取材していたNHKの向井徹はこう打ち明けた。韓国人が日本を応援することが、どれだけ考えられない光景であるのかという事を、釜山のボランティアスタッフの驚きが教えてくれたわけだ。それは、取りも直さず一般的な日本人の想像を超えた韓国の反日感情の存在を示すもので、初の共同開催となったW杯で日韓の友好ムードを<演出>したメディアの嘘を逆証明するものだった。日本メディアは共催という幻想と造られた友好ムードを報道するしかなかったのだ。『親日派のための弁明』の著者、金完燮はこう振り返ってくれた。

「釜山ならそういうシーンもあったんでしょうね。日本に一番近い地域だし、釜山に行くと日本のテレビも普通に見られるしフェリーで来る観光客も多い。併合時代は釜山を通して韓国と日本が繋がっていて言語、文化も近いものがあります。昔、私は反日だったんですけど(笑)、当時思ったのは、釜山は慶尚南道という地域ですが、慶尚南道の人と会うと理由もなく親日の人が多かったですね。そういう意味で以前は慶尚南道の人間が嫌いだった(笑)」

「去勢された国」のワールドカップ

六月四日、五万五千二百五十六人の観衆を呑み込んだスタジアムは、熱気と興奮が一気に凝縮し、沸点に達しようとしていた。二〇〇二年W杯、日本の緒戦である日本対ベルギー戦の火蓋が切られる瞬間だった。FIFA(国際サッカー連盟)のテーマ曲と共に両国選手が入場し、日本のサッカー場でもお馴染みなったサポーターがマフラーを両手に掲げながらこれから戦う選手たちへ魂を送る儀式が始まった。サポーターは日本代表のマフラーをかざして、厳かに君が代を合唱した。日本人サポーターの国歌の歌声は世界で小さい部類だが、この日は緒戦ということもあり、粛々と力強く君が代が歌われた。

歌が終わると歓声と拍手が湧き起こり、スタジアムのここかしこで日の丸の小旗が打ち振られた。と、その瞬間、上空に轟音が響き渡り、薄暮の北の空から航空自衛隊のブルーインパルスの編隊が飛来した。セレモニー終了後の、これからキックオフという瞬間にブルーインパルスは轟音と白煙を残して飛び去ったのだ。関係者の心憎い演出に感謝したい気持ちになったが、翌日のメディアでどれだけこの事を報じたのだろうか?

考えてみれば、W杯が始まる約一カ月前に、旧満州奉天(中国遼寧省瀋陽市)の日本総領事館に北朝鮮国籍の家族が亡命を求めて失敗する事件があり、この象徴的な出来事は、W杯が終了してから十一月までに立て続けに日本と東アジアで起きた色々な「事件」に連なるものだった。この時期にアジア初のW杯が開催されたのも、まさに象徴的だった。この十月、マレーシアのマハティール首相が叱咤激励の意味もあったのだろうが、「日本の失敗は西洋文化を崇拝しすぎたからだ」「日本が犯した誤りを避けるためにも日本を見守る必要がある」とある経済フォーラムで発言した。「我々は支那からも学ぶことができる」と経済成長著しい支那を評価し、韓国についても「非常に愛国主義的で、自らの文化や特質を保持している」と発言した。衰退する日本を批判するメッセージだったのだが、かつて石原慎太郎と共著で『NOと言えるアジア』を著した親日家にも日本は見放されてしまったかのようだった。

じつは、そんな状況を先取りするかのような方針で、瀋陽の日本領事館事件直前に「タイム」誌アジア版四月二十二日号に「アジアのヒーロー」という特集が掲載された。アジアから二十五名のヒーローを選出、アフガニスタン暫定政権(当時)を率いるカルザイ議長(現首相)やミャンマー(ビルマ)の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーらが選ばれたのだが、日本からはイチローと中田英寿の二人だけしか選出されなかった。そこで私が注目したのは、二人という日本人の数よりもスポーツ選手しか選ばれていないという事実だった。日本は最早、スポーツやアニメ以外の分野で、特に政治や経済の世界で「アジアのヒーロー」を生むことさえできないのであろうか? 当時、この特集は日本の様々なメディアでも紹介されたので憶えている日本人も多いと思うが、記事の見出しまでは注目されていなかった。

「Real Men in a Gelded Land」というヘッドラインは「去勢された国の本物の男達」という意味であり、贔屓目に翻訳しても「骨抜きにされた国の本物の男達」としかならなかったのだ。さらにこの見出しは「海外のスポーツ界で大活躍する鈴木一郎と中田英寿が萎えた日本の自尊心に魂を吹き込む」という導入フレーズに続いていた。確かに瀋陽の日本領事館事件で日本人職員は「萎えた」対応しかできず、「去勢された国」の外交官としての印象を世界中に与えてしまった。

かつて日本には、昭和十四年に領事代理としてリトアニアの日本領事館に赴任した杉原千畝という「自尊心」溢れる外交官がいた。彼はナチスのユダヤ人迫害がエスカレートするさなか亡命希望のユダヤ人に独断でビザの発給を決め、六千人のユダヤ難民に日本通過のビザを発給し続けたのだ。杉原の人道的行為の背景には満州国の五族共和というスローガンがあったのだが、六十二年後、奇しくも満州国の首都、奉天だった瀋陽には、醜態を晒した平成日本の外交官の「萎えた自尊心」しかなかった。

日本の緒戦は結局、二対二で終わったが、日本は中田英寿を中心に堅固な中盤を築き、まさに「本物の男」がチームを牽引して歴史的なW杯初の勝ち点を収めた。「タイム」が指摘した「萎えた日本人の自尊心に魂を吹き込」み、サッカーファン以外の日本人にもサッカーに新しい価値を認めさせたという意味でも歴史的試合となったのだが、同時に、翌日の朝日新聞が日本は「去勢された国」になっていた事を証明してくれるのだ。

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