Make your own free website on Tripod.com

帰化した日本人農夫 網切一嚴

(朝鮮日報 2003年2月3日)

蔚山=金学贊(キム・ハクチャン)記者

「反米と抗日の差は何だと思いますか」

“シイタケ博士”として知られる網切一噤i61)氏が上気した声で投げかけた質問だ。彼は返答を待たずに、「反米は『米国が嫌いだ』という程度に解釈できるが、抗日はこれをさらに越え、対抗して戦わねばならないという意味」と解した。

シイタケ博士とのインタビューは、とんちんかんにも韓日の民族史問題から始まった。「帰化した日本人」というユニークな履歴のため避けられない話題を、彼の方から持ち出したのだ。

「最近の20〜30代の若者たちは『日本に対して特別に敵対心はない』と言うが、本当だと思うか」と反問したマンジョル(網切の韓国読み)氏は、すでに「そうでない」という返答を準備していた。

「韓国の歴史教科書の近代史部分中、半分近くは『日帝』と『抗日』で埋め尽くされている。果してその教科書で勉強する学生たちが、日本との善隣友好を大切だと考えるだろうか。機会さえあれば、戦って抑えつけようとするのは当然だとしか言いようがない」というのが、彼の自答だった。

日本人として生まれながらも、韓国人として生きているマンジョル氏は、「“本物の韓国人”として生きてみようと頑張ったが、“抗日”で武装した韓国人の心にまでは届くことができなかった。私の意志とは関係なく、周りで私を何としても“日本人”にしてしまう。不可抗力だった」と、淋しく笑った。

マンジョル氏の人生は1945年8月15日、日本の植民支配から開放されたその日から劇的に変わった。

彼は1942年、慶尚(キョンサン)南道・金C(キムへ)でバス業者を経営する両親(日本人)の一人息子として生まれた。しかし、8.15開放の直後、近隣の韓国人たちによって家に軟禁された両親は1カ月後の9月中旬頃、やっと家から抜け出すことができた。

しかし、当時4歳で、外に遊びに出ていたマンジョル氏を探し出すことはできず、日本行きの帰国船に乗ってしまい、マンジョル氏は孤児の身となってしまう。

隣の家に住んでいた韓国人 ヤン・ドゥリョン(女/当時35歳)氏の世話を受けながら、「ヤン・スンテ」という韓国名で成長した彼は、高校2年の1958年、偶然の事件(具体的な内容は明かさなかった)がきっかけで、自分の出生と成長にまつわる事情を知るようになり、長い間、精神的ショックに陥った。

1968年、自分の事情を書いた手紙が日本のNHKに紹介された後、日本の両親が鹿児島に住んでいることを知った。2年後の1970年冬、日本に駆けつけたが、父は既に亡くなっていた。

韓国に戻った彼は、帰化の手続きを踏んだ。「日本人両親がすでに亡くなった状態で、成長と人生の基盤となってくれた韓国で、韓国人として生きるのが自然だと判断したため」と、帰化の理由を説明した。

帰化した名字はマンジョル。本貫は「トガン(島間)」に決めた。日本を訪れた際に知った祖父の故郷、鹿児島県の小さな島村の名を本貫に取ったのだ。これで、彼は国内のトガン・マンジョル氏の始祖となった。

名字と本貫を日本人父系から取ったのは、「韓国の国籍を取得したのと同様、“自然な”理由からだ。人生の基盤を求めて帰化したが、両親から受け継いだ“生命の根”まで人為的に作りたくはなかった」というのが彼の説明だ。

マンジョル氏は帰化から2年後の1972年、通っていた職場を止め慶尚南道・梁山(ヤンサン)郡・トン面・ネソン里に移り住み、シイタケ栽培を始めた。今は妻のチョン・スンナム(60)さんと2人の息子夫婦とともに、250坪あまりのシイタケ農場「マンジョル農園」を経営している。

2001年1月、マンジョル氏は30年を越えるシイタケ栽培のノーハウで開発した「野生生態栽培農法」の独特な栽培技術を認められ、第35回新農民賞大統領賞を受賞し、全国のシイタケ栽培農民から“シイタケ博士”として知られている。

マンジョル農園で野生栽培法で栽培され出荷されたシイタケは、新鮮度が高く、肉質が良いため、全国農協共販(農協による共同販売)で一般のシイタケよりも2倍近く高い価格で売られている。

マンジョル氏は「1999年8月11日、日本鹿児島県の南日本新聞と行ったインタビュー記事のため、“さんざん”有名税を払ったことは忘れられない」と紹介した。

当時、8.15光復節を控えた時点で、彼は「もし、韓国と日本の間で戦争が起き、私に一発の銃弾が与えられたら、私は韓国ではなく、日本に向け銃を撃つだろう」とインタビューで話したという。

「韓国はそれほどまでに、私の人生の貴重な基盤」という意味で話したのだが、「日本を敵対視する帰化日本人」として伝えられ、8.15光復節を前後にしてはもちろんのこと、日本首相の靖国神社参拝など、韓日問題が浮上するたびに、メディアの「多分に意図的なインタビュー」の対象となっているという。

マンジョル氏は先日、小学校2年の孫娘が学校の友たちからいじめに会った内容を聞かせてくれた。

「お前のところのおじいさんは日本人だって?じゃ、お前も日本語が話せるのか?一度、話してみろ」

「…」。

マンジョル氏は「韓国人に帰化しても、私と私の肉親らは“抗日”の対象から逃れることはできないのか、という虚しさを感じた」とし、「今後、私は韓国人だとか、日本人だとかを問うインタビューには絶対に応じないつもりだ。私はシイタケを栽培する農民なのだから、シイタケの広報だけをよろしく頼みたい」と話しては、席を立った。

Copyright(C)2002- 「日本専門」情報機関(日本の情報の収集と保存)