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マザーテレサの日本人への提言

1997年9月6日、マザー・テレサが、インドのカルカッタで亡くなった。マザー・テレサ自身が創設した修道院で、「もう息ができないわ」の一言を残して。文字通り、人生の最後まで、貧しい人のために全てを捧げ切った87年の実に見事な人生である。しかしテレサの死は、派手なダイアナ報道に押し流されてしまった。マザー・テレサの人生の価値と意味が、正しく伝わることはなかったのだ。浮付いたマスコミは、ダイアナの派手なパフォーマンスを好み、人類に対する限りない愛を貫き通したマザー・テレサの献身的な愛を蔑ろにしたのである。我々は、本物を見分ける目を持たなければならない。

それでは、ダイアナとマザー・テレサの違いとは何か。ダイアナが特別な事件や災害で苦しむ人々に大々的な救援活動をしたのに対し、マザー・テレサは日常にありふれた貧困に手を差し伸べたのである。ダイアナは贅沢をしていたのに対し、マザー・テレサは全財産を投げ打ったのである。マスコミは、この違いを考えることなく、ダイアナブームのもとで、「マザー・テレサの死」を殺したのだ。

マザー・テレサは、ノーベル平和賞を受賞した際の晩餐会を断る理由を次のように述べている。「晩餐会はいりません。そのお金を貧しい人たちのためにお使い下さい」。これを偽善的と切り捨てることができるだろうか。ダイアナのメディアに露出しての救援活動こそが偽善なのではないだろうか。我々は、マザー・テレサという稀有な人間を失ったのである。

それにしてもマザー・テレサを駆り立てる強烈なエネルギーは、彼女の小柄な体のどこに秘められているのだろうか。彼女にしてみれば、目の前の、貧しく、教育もなく、飢えて、死に行く人々を、当たり前のこととして救おうとしているだけなのかもしれない。このマザー・テレサが当たり前のこととして行うことが、まさに愛そのものであり、世界中の人々が彼女に心から共感を覚える本質なのである。

マザー・テレサが、良く口にする言葉がある。「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することです」。実は、初来日の際にも同様のことを言っているのだ。「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」(1981年4月、初来日の際)。

我々は、ボランティアを歪んで捉えがちだ。確かにボランティア活動は素晴らしい。しかし、身近のホームレスを見捨てて海外へ行くのは、おかしいのではないだろうか。おそらく見捨てていないと強弁するだろうけれど、行動しなければ見捨てたも同然であり、偽善者だ。自分の身の回りにも、たくさんの愛を必要としている人々が存在しているのだ。日本人なら、日本の苦しんでいる人々にまず手を差し伸べよう。マザー・テレサが伝えようとしたことを理解し、実践することこそが、マサー・テレサの冥福を祈ることなのだと思う。 

【追記】

「けさ、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。」

「カルカッタやその他の土地に比べれば、貧しさの度合いは違います。また、日本には貧しい人は少ないでしょう。」

「でも、一人でもいたら、その人はなぜ倒れ、なぜ救われず、その人に日本人は手をさしのべないのでしょうか。その人が飲んだくれだから! でも、彼もわたしたちも兄弟です。本人はきっと孤独でしょう。 みなから無視されての……。やけ酒かもしれません。」

引用されているようなので、追記しておく。マザー・テレサの「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」という発言は、日本企業がマザー・テレサに寄付しようしたことに対するものだ。日本に貧しい人がいないわけないのだから、インドではなく日本で使いなさいということである。こうした日本企業の行為は、売名行為に過ぎないと言いたかったのかもしれない。

「私は、短い間しか日本に滞在しないので手を貸してあげるのは、せんえつだと思い、何もしませんでしたが、もし、女の人が路上に倒れていたらその場で、語りかけたり、助けていたと思います。豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」

またマザー・テレサはインド出身ではないが、インドを居住の地とした。インドの貧しい人々を救済するために、インド永住を決意したのである。海外ボランティアをするなら、その土地に居を構えてこそ、マザー・テレサの教えではないだろうか? だから「短い間しか日本に滞在しないので手を貸してあげるのは、せんえつだと思い、何もしませんでした」と言っているのだと思う。日本に居を構えながらの海外ボランティアは偽善だ。いつでも自分には逃げる場所があるという意味において、その土地の人々と苦楽を共にしないのであり、やはり偽善と言わざるをえないのではないか。

「愛は家庭から始まります。まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。両者が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。平和とうるおいの家庭が築けたら、隣人を愛しなさい。自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人を愛せません」

ついでだから、これも引用しておく。自分の家族そっちのけのボランティアに対する強烈な批判であることがわかるだろうか?


マザー・テレサの生涯

1910年
明治43年
スコピア(現マケドニア)のアルバニア商人の家庭に生まれる。
両親はアルバニア系の熱心なカトリック教徒
1928年
昭和 3年
アイルランドのロレッタ修道会に入会し、カトリックの修道女としてインド・ダージリン
の修練院に送られる。
1931年
昭和 6年
ロレッタ修道会修道女として初誓願を立てる。
修道名はシスター・テレサ
カルカッタにあるロレッタ修道会経営のセントメリー高等学校に赴任。
歴史と地理を教え、その後校長を務める。
1946年
昭和21年
黙想のためダージリンへ向かう汽車の車中で”神の召命”を受け、修道会を出て
貧しい人々の中に入ることを決意する。
1948年
昭和23年
イギリスの植民地から独立したインドで、貧困救済の活動に入るため、
派遣伝道師としての身分の除籍をローマ法王に申請。
(修道女のまま修道院外で働く許可)
スラム街にまず最初に「青空教室」を開設。
(薬を買って粗末なサリーをまとい貧民街に立ったとき、所持金わずか5ルピー。)
「富の中から分かち合うのではなく、ないものを分かち合うのです。」
1950年
昭和25年
インドに帰化。 12人のシスターと共に、”貧しい中の最も貧しい人に仕える修道会”
「神の愛の宣教者会」設立
総長に就任して「マザー・テレサ」と呼ばれるようになる。
1952年
昭和27年
路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための施設
「死を待つ人々の家」(Home for Sick and Dying Destitutes)を開設。

(地元住民の強い反対と施設撤去を求める誓願。何しろ、ヒンズー教徒の国で
すから、キリスト教のシスターは良く思われません。また、どうせ死ぬ人のた
めにそんなに苦労してもあまり意味がないのではないかという批判もあったそ
うです。でも、マザーは、最期の一瞬だけでも人間らしく扱われることの大切
さを知っていました。)

ある日、コレラで死にそうなヒンズー教徒の僧を引き取り、死をみとったこと
をきっかけに、住民の彼女を見る目が変わる。

「恵まれない人々にとって必要なのは多くの場合、金や物ではない。世の中で
誰かに必要とされているという意識なのです。見捨てられて死を待つだ
けの人々に対し、自分のことを気にかけてくれた人間もいたと実感させること
こそが、愛を教えることなのです。」

1955年
昭和30年
孤児のための施設「聖なる子供の家」を開設する。
1957年
昭和32年
ハンセン病の巡回診療を開始する。
1965年
昭和40年
インド国外での最初の修道院をベネズエラに開設する。
1968年
昭和43年
西ベンガル州にハンセン病患者のコミューン「平和の村」を開設する。
1975年
昭和50年
学校・病院・作業所持つ複合センター「プレム・ダム」を開設する。
1979年
昭和54年
ノーベル平和賞受賞
「わたしは受賞に値しないが、世界の最も貧しい人々に代わって賞を受けま
した。」
(ノーベル平和賞と言っても、政治家や活動家が受賞する際には、委員会の中
でも意見が分かれることが多いそうですが、マザーの受賞の時には、満場一致
だったそうです。彼女は、賞金の全額を寄付しました。また、受賞後に問題が
生じることもあるようですが、マザー死去の報を聞き、委員長は、
「マザー・テレサの平和賞受賞はわれわれが大きな喜びと満足感を持って振り
返ることのできる受賞だった」と語っています。

受賞後も、朝4時に起床、シスター達と一緒に、路上生活者やごみ捨て場に捨
てられた幼児を施設に連れてくるといった生活をほとんど変えずに行い続けた。

1981年
昭和56年
この年と翌年に二年連続して来日し、各地で講演を行う。
1984年
昭和59年
三度目の来日。
1997年
平成 9年
3月病気のため総長を引退。新総長にシスター・ニルマラが選ばれた。
1997年
平成 9年
9月5日(日本時間9月6日午後6時)
「もう息が出来ないわ」の言葉を残し永眠。
9月13日インドで国葬が行われた。

国家元首でも首相でもないのに、異例の国葬です。マザーがどれほどインドの
人々に愛されていたかが、わかります。

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