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明治に歪められた日本の精神

司馬遼太郎の「坂の上の雲」が、NHKでドラマ化されるという。司馬は、生前、断っていたのだが、婦人が許可をだしたのである。ここで面白いのは、司馬の映像化拒否の理由に関して、各誌の報道が錯綜していることだ。例えば、「軍国主義ととられるおそれがある」(朝日新聞 2003年1月9日)、「今は時期ではない」(読売新聞 2003年1月9日)、「まだその時期ではない」(産経新聞 2003年1月9日)、と報道されているのである。しかし、この錯綜の中に、司馬の映像化拒否の理由が隠されている気がしてならない。

どの報道にも共通するのは、司馬が「映像化するには、まだ早い」と考えていたことを示している。司馬にとって、時代が早すぎたのである。どう早すぎたのかといえば、それは朝日の報道にある。「軍国主義ととられるおそれがある」は、まさに朝日ならではの言い回しなのだが、新しい歴史教科書を作る会の提唱する「自由主義史観」とともに、「司馬史観」が批判されたことを考えれば、実は三紙の中では最も適切な報道なのである。

では朝日の想定する「司馬史観」の問題点は、何なのだろうか?

『近現代史をどう見るか』(中村政則著 岩波書店 1997)によると、「司馬史観」の問題点は、@「明るい明治」と「暗い昭和」という単純かつ文学的な対比による二項対立史観であること、A明治の明るさを明治憲法に、昭和の暗さを統帥権に集約するという単純化を行っていること、とある。

「司馬史観」は、@Aにより、昭和と明治の間の「断絶」を示す。しかし「司馬史観」は、明治期に統帥権を支える制度とイデオロギーができていたことを考えないから、昭和になって突如暗転がおこったように見えるのであり、実際には「明るい明治」の時代に昭和の破綻の芽は準備されていた、と批判されるのである。

一方で、「司馬史観」を擁護する立場もある。

『海を超える司馬遼太郎 東アジア世界に生きる「在日日本人」』(遠藤芳信著 フォーラム・A 1998)によれば、司馬遼太郎は、明治(から昭和前期)の日本近代国家による国民支配の「重さ」「暗さ」を指摘してきたという。

この国民支配の「重さ」「暗さ」とは、@国家がモラルの源泉であったこと(戦前国家はモラルの「卸問屋」「元締」として重苦しく国民を締め付けていた)、A神秘性や呪術性を含有する近代国家の重さ(国家による神道の押し付け)、B近代国家の教育作用(国家によって規定された人民を作り出すこと。それに反抗する人間は放逐される運命にある)、などである。以上のように、司馬は決して明治期の日本を全体的に「明るい」ものと考えていたわけではない、と擁護されるのである。

確かに「司馬史観」が、中村の言うようなものであれば、中村の司馬批判も、遠藤の司馬擁護も、どちらも一理ある。しかし司馬は次のように述べているのだ。

「史観は、歴史を掘り返す土木機械だと思っていますが、それ以上のものとは思っていません。土木機械は磨きに磨かねばなりませんが、その奴隷になることはつまらない。歴史を見る時とき、ときにはその便利な土木機械を停止させて、手堀りで、掘りかえさなければならないことがあります」(司馬遼太郎 『手掘り日本史』1972)

司馬は、史観をツールと考えていたのである。この小説はこの視点で、あの小説はあの視点で、といったところだろうか。要するに、司馬にとっては、「司馬史観」は存在しなかったのだ。

だからといって「司馬史観」の議論を止めるわけにはいくまい。しかし、人々が「司馬史観」の存在を信じ、司馬の歴史小説に影響を受けるからではない。ノンフィクションであれ、フィクションであれ、小説は、人々に影響を与えるものなのだ。そうではなく、司馬がどこかで「それまでの美しい日本の歴史が、あの時期だけなぜか狂っているんだ。それが理解できない」と述べているように、司馬自身も、そして司馬史観批判派も擁護派も、日本が戦争へ向かっていく理由を理解できなかったからなのである。

しかし司馬は、実は、日本が戦争へ向かっていった理由を「坂の上の雲」の中で書いているのだ。司馬は、秋山好古を「最後の古武士」と評している。好古は、最後のサムライなのだ。そして、その好古は、陸軍大将まで登りつめた後、一切の官職を投げ捨てて故郷に帰り、旧制北予中学(現在の松山北高等学校)の校長先生として晩年を過ごすことになるが、同時に日本軍からサムライがいなくなったのである。

これに対して、日本軍人たるもの武士道を心得ているという反論があるだろう。しかし司馬にとっては、好古こそが「最後の古武士」なのであり、好古以後、サムライは現れなかったのである。つまり日本は、サムライが歴史から退場するとともに、戦争へと歩み始めたのだ。

司馬は気づいていなかったし否定していたのだが、「司馬史観」があるとすれば、「サムライの時代は良かった」「サムライがいなくなった時代は悪かった」というものではないだろうか?

実は、近年の歴史研究において、江戸時代が世界史上、稀に見る時代だったことが分かってきている。日本は、当時、世界最大の軍事大国でありながら、最強の兵器であった銃を使わなかったのである。日本人は、きっと江戸時代に手に入れた何かを、明治以降失っていったのだ。司馬は、これを、無意識のうちに「最後の古武士」として表現したのではないだろうか。

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