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永久保存版『媚朝』家たちの北朝鮮礼讃・迎合発言集

(正論 2002年12月)

柿谷勲夫

北朝鮮は、長年に亘って、我が国民の拉致をでっち上げだと言い張ってきたが、ついに位致だと認めた。北朝鮮が拉致したことは、韓国への亡命者の証言や北朝鮮から届いた手紙などによって随分前から明白だった。それ故、拉致の事実は、遠くない将来白日の下に晒されると考えるのが自然だった。にもかかわらず、我が国内においても、北朝鮮を褒め称えたり、拉致の証拠がないとか、行方不明者だと言い張ったり、コメ支援を主張した者が少なからず存在した。このような政治家などは、涙ながらに親や友人などと抱き合い「すみません」と言う拉致被害者の姿をどのような気持で見たであろうか。被害者やその家族に対し、横一線に並んで土下座して謝罪、J叙勲者は勲記、勲章を返還し、国民の目に触れないところに消え去るべきである。が、明確に責任を取ったものはいない。筆者は、当時から拉致が明々白々になった場合、彼等がどのような行動、発言をするのか、大きい関心を持っていた。それ故、今日に備え、これら政治家などの発言の新聞記事を大事に保管していた。そのごく一部を掲載紙とともに紹介する。

一、村山訪朝団

村山富市

村山が首相の問、我が国民が北朝鮮に拉致された状態にあり、これらの人を取り戻す最高責任者だった。村山は平成十一年十二月、訪朝団の団長として、北朝鮮を訪れた。訪朝前後、拉致について、いろいろな行動、発言をしている。その一例を挙げれば、次の通りである。@平成十一年五月二十五日、東京都内で講演し、日朝関係について、「拉致事件が片付かないから話ができないということでは、永遠に話はできない。誠意をもって国交回復の話をしようと言い、そのなかで拉致問題も解決すればいい」「日本はミサイルが飛んですべてを断絶したが隣の人が困っている時には、コメを送ったっていいじゃないか」(五月二十六日付朝日新聞)と述べた。A平成十一年十一月二十九日訪朝直前、位致被害者の家族に対し、「日本の主権にかかわる問題であり、朝鮮労働党との会談で話をしてくる」(十一月三十日付読売新聞)と約束したが、「拉致問題の解決を政府間交渉の前提にするのはよくない。解決のためにも、政府聞の話し合いの場を作ってくることが必要だ」(同)とも述べた。@Aの発言は、拉致を軽視し、かつミサイルを撃ち込まれでも、コメを支援しようとするもので、拉致された家族や我が国民の心情を逆撫でしたものである。

B平成十一年十二月二日訪朝中、錦繍山記念宮殿を訪問し、「故金日成主席の偉業をしのび、その志は永遠に引き継がれ、人民の幸せと世界の平和の礎となる。日朝友好親善のため私たちもその志を引き継ぎたいと思う」(十二月三日付読売新聞)と記帳した。記帳は予定外だったため、慌てたらしい。このときの様子を、朝日新聞(十二月五日付)「天声人語」は、「故金日成主席の遺体が安置されている記念宮殿で、訪朝団長の村山富市元首相は、記帳の際に『金日生一』と書いてしまい、急いで直したそうである。危うく礼を失するところだったが、一そのくらい緊張していた」と報じている。宮殿を訪問すれば、記帳を求められることは十分予想できる。村山は、予め記帳を辞退するか、応じるのであれば、名と日付だけにするか、文章を書くのであれば、文面を考えておくべきだった。が、奇襲されたため、「専制君主」を礼讃する文を書いたのであろう。文面は歴史に堪え得るとは思えない。C平成十二年二月二十三日、日朝友好議員連名会長に就任、産経新聞のインタビューに対し、「拉致問題が解決しないと一切の話し合いができないというのはよくない。他のテlマと包括して重要な問題として話し合えばいい」(二月二十九日付産経新聞)などと答えた。この発言は、村山訪朝が拉致解決とは無関係であることを物語っている。D去る十月十五日記者団に「僕らも含めて国も政党も努力すべきだった。反省しないといけない」(十月十六日付産経新聞)と述べた。責任の分散を意図する「恥知らず」の発言である。

野中広務

野中は、自民党幹事長、同代理、内閣官房長官を務め、一現在も橋本派の重鎮で自民党の実力者、その言動は影響力が極めて大きい。野中は平成十一年十二月、自民党幹事長代理の職にあり、川村山訪朝団の幹事長として、北朝鮮を訪問した。その前後の言動などは次の通りである。@平成十一年十一月二十三日、神戸市の新神戸オリエンタルホテルの党県連主催の会合で、対北朝鮮政策について、「確hり+りかにテポドン、不審船、拉致疑惑といろいろある。(位致疑惑で)先方と話をすれば『一二十六年間の(日本の)植民地支配はどうなる。日本は多くの人聞を(朝鮮半島から)拉致していった』という互いにむなしい議論の戦わせ合いになる」(十一月二十四日付読売新聞)と述べた。日韓併合条約は合法。併合時代、朝鮮人は日本人だったが故、大東亜戦争中、内地の日本人と同様、彼等も日本人として徴用されたのである。野中は、日本時代の合法的行為と国家犯罪である位致を同列に扱っている。「親日派」日本人の言が信用できないのであれば、韓国入・金完愛が最近著した宍親日派」のための弁明』を二試してもらいたい。A平成十一年十二月二日、錦繍山記念宮殿訪問時、「ご生前中に三度にわたりご会見の栄を得ましたことに感謝し、金日成主席閣下の不滅の遺徳が、朝鮮民主主義人民共和国の永遠の発展と日本国との友好発展の上に、大いなるお導きを願ぃ、永久不変万年長寿をお祈りします」(十二月三日付読売新聞)と記帳した。

この文言は、村山の記帳以上に北朝鮮に娼びるもので、まるで中世の臣下が自国の皇帝陛下に対する姿勢に似ている。後世の人がこの文面を見れば、十九世紀以前に書かれたと思うであろう。記帳は永久に残る。「人は一代、名は末代」。政治家は、百年先、二百年先の評価を恐れるべきである。G平成十二年三月十九日、島根県湖陵町で講演、北朝鮮へのコメ支援反対意見を批判し、一「日本人の拉致(らち)問題を解決しないでコメ支援はけしからんと言うが、日本国内で一生懸命ほえていても(行方不明の)横田めぐみさんは帰ってこない」(三月こ十日付産経新聞)と述べた。この発言は、拉致された人を取り戻す国民の集会、デモなどを指すものと思うが、日本の政治家の発言とは思えない。C毎日新聞(平成十四年九月十八日付)は、「野中広務自民党元幹事長は首相会見後、記者団にコメントする予定だったが、午後7時ごろ外出先から議員会館の自室に戻った後、無言で約却分間、テレビニュースに見入ると『ご遺族の気持ちを思うととてもコメントできない』とだけ漏らし、夜のテレビ出演もキャンセルした」(傍点筆者)と報じた。拉致された家族は生存を確信している。野中は、北朝鮮礼讃や北朝鮮寄りの発言をしていた。だからこそ、家族の面前で謝罪すべきではなかったのか。

福本潤一

福本(公明党、参院議員)は平成十一年十二月十日、参院沖縄・北方問題特別委員会で、村山訪朝団の一員として訪朝した際の所見として、「食糧問題も洪水からさ一年間は大変だったが、徐々に回復Lている。事実、私は日本で生活している以土に答礼宴を含めでたくさんのおいしいものを食べ、太って帰ってきた」(十二月十一日付産経新聞)と述べた。北朝鮮国民は飢えで死んでいる。そのような国に行って、よくもおいしいものをたくさん食べることができたものだ。箸を付けずに「このご馳走は、お国の飢えている国民に差し上げて下さい。私たちは日本に帰ってから食べます」と言うべきではなかったのか。

青木宏之

青木(自由党、衆院議員)は、村山訪朝団の一員として訪朝し、帰国した平成十一年十二月三日、CS放送のニュース専門チャンネル「NNNM」の討論番組で、「(北朝鮮が)拉致したという証拠を知ってるの?」「(拉致疑惑は)日本が勝手に言っていること」(平成十二年一月十二日~付産経新聞)と述べた。これに対し、拉致家族から撞反発を受け、後日文書で謝罪した。発言を訂正、謝罪したとはいえ、一このような発言が口から出るのは、村山訪朝団が北朝鮮の謀略に乗せられているからであろう。

二、社民党、社会党

土井たか子

土井は、北朝鮮を「ずはらしい社会主義」などと礼讃していた。また、十二年前、北朝鮮に対し、常識では考えられない約束をしていたのである-。平成二年十月十一日、第四富士山丸の紅粉勇船長と栗浦好雄機関長が、約七年間、北朝鮮に不当な抑留された後、帰国した。紅粉元船長は今回、「北朝鮮側は『容疑を認めたら日本に帰してやる』と一百い、やってもいないことを無理やり自供させた。それにもかかわらず、結局七年間も日本に帰してくれなかった」A平成十四年九月十八日付読売新聞)などと述べた。

にもかかわらず、紅粉船長などの解放に当たって、土井社会党委員長(当時)と小沢一郎自民党幹事長(当時)が、北朝鮮に対し「共和国の法律を二度と侵害しないようにし、帰国後両名の言動が日朝友好関係発展に支障を与えることのないようあらゆる努力をする」(平成二年十月十二日付産経新聞「主張」に詳細が記述)と約束し、両人の言論の自由を束縛したのである。本行為によって、北朝鮮に対し、我が固には何を要求しても通るとの確信を与え、日本をばかにする一因になったことは間違いない。土井党首は、北朝鮮が拉致を認めてから三週間も謝罪しなかった。また、十月十八日、今頃になって「交渉の沖村、政府は拉致問題と同様に核開発に毅然とした態度で臨むべきだ」(十月十九日付朝日新聞)と述べた。「恥知らず」の発言である。社会党(社民党)は、朝鮮労働党と友党関係にあり、土井は、長年に一日一って、社会党(社民党)の顔であり、総責任者である。単に謝罪しただけでは許されない。

福島瑞穂

社民党は、機関誌「月刊社会民主」(平成九年七月号)で、社会科学研究所日韓分析編集北川広和の「食糧援助拒否する日本政府」との題名の論文を掲載した。この中で、横田めぐみさんの拉致について、「このように産経新聞に掲載された工作員の証言を検討すると、拉致の事実がはっきりするのではなく、拉致疑惑事件が安企部の脚本、産経の脚色によるデツチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」などと述べている。この表現は、北朝鮮の平壌放送が平成九年二月十日、めぐみさんの位致を報じた産経新聞などに対し、「売文紙として悪名をとどろかせている『産経新聞』と『毎日新聞』が、南朝鮮かいらい安企部(国家安全企画部)がまたしても与えたカネを受け取って謀略をデッチ上げたであろうということは言うまでもない」(二月十一日付産経新聞)などと非難した記事とほぼ同文である。「社会民主」の記事は、食糧援助の問題だけではなく、社民党が北朝鮮の尖兵の役割を果たしていることを物語っている。社民党は、産経新聞などの報道を受けた十月四日、同論文をホ1ムペ1ジから削除した。その際、福島幹事長は「党の見解ではないが、事実と異なる内容だ。ご家族の気持ちを考慮した」と述べたが、機関誌の掲載論文が党の見解でないとは、責任逃れも甚だしい。

清水澄子

平成十二年、新潟県三条市で、少女の監禁事件が発覚した。これについて、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」(三月六日付)は、「日本で最近、少女拉致(らち)事件の真相が明るみに出て、世論が大きく沸き立っている。笑い種となったのは、少女が拉致されて閉じ込められていた場所が新潟県内であったということである」「より破廉恥なことは、自国内で発生する多くの拉致事件を解明さえすることができない分際で、むやみに他人に『拉致』というべ1ルをかぶせて言い掛かりをつけていることである」(三月九日付産経新聞)などと述べた。清水澄子参院議員は、北朝鮮による位致について、「新潟県三条市の女性(監禁事件)のようなこともあり、先入観で断定すべきでない」(四月九日付産経新聞)と述べた。清水の発言は、北朝鮮の虚偽発言と軌を一にしたものであり、日本国の国会議員として、許されるものではない。

田島陽子

田島は十月七日、離党を表明した。理由に「(拉致問題について)これまで何もしてこなかったことに責任がある」「(拉致事件という)現実に対する対応に、スピード感も柔軟性もない」「社民党は透明性もなく説明責任も果たしていない。内部は官僚的で男社会」(十月八日付産経新聞)などを挙げた。しかし、社民党は、社会党時代から、朝鮮労働党と友党関係との名の下、北朝鮮の発表を鵜呑みにし、拉致事件に関することなどを含め、代弁者のごとき発言をしていたことは、国民周知の事実である。社民党に入党し、比例区から立候補しながら、知らなかったとの言い訳は、国民を愚弄するもので通用しない。沈没船たる社民党から逃れるための言い訳であろう。逃れるのであれば、議員バッジも外すべきである。

田辺誠

田辺は平成こ年の社会党副委員長当時、自民党の金丸信とともに北朝鮮を訪問し、「戦後四十五年の償い」まで約束した。田辺は、「当時、拉致に関しては全くー知らなかった。家族からの陳情も私には届いていなかった」(平成十四年九月二十二日付読売新聞)などと述べたが、昭和六十三年に大韓航空機爆破事件の金賢姫は、教育係が日本女性と証言していた。「全く知らなかった」とは無責任である。さらに、北朝鮮は平成三年八月下旬、第四回日朝国交正常化交渉で、了解していた筈の「李恩恵」の消息調査を拒否したが、田辺社会党委員長(当時)は、福岡市内のホテルで記者会見し、「国交正常化交渉が早く決着すれば、名実ともに国家承認になるが、早く進まないときは名目上の承認であっても(先に国家承認を)した方がいい」(平成三年九月十八日付産経新聞)と述べた。つまり、交渉妥結以前であっても、承認すべきとの北朝鮮寄りの発言をしていた。平成八年秋に授与された勲一等旭日大綬章を返還すべきである。

田英夫

田は、「かなりのまゆっばだと思っていた」「拉致被害者の家族の皆さんにはお気の毒だが、拉致問題を理由に国交正常化をせず、平和の方向に行くことをとどめるべきではない。ご家族の感情はよく分かるが、一緒にするのは問題が違う」(平成十四年十月八日付産経新聞)などと述べている。この発言を聞き、田に日本人の血が流れているのかと疑った。なお、田には昨年秋、勲一等旭日大綬章が授与されている。返還すべきである。

横路孝弘

かつての社会党員で民主党などに籍を置いている議員も同罪であることは言うまでもない。その代表例が横路である。横路は平成十二年八月二日、衆院予算委員会で十数分間に亘って、森喜朗首相(当時)に日朝首脳会談の実施を迫った。が、位致には一言も触れなかった。また、北朝鮮を「朝鮮民主主義人民共和国」と言うなど、横路の発言を聞いていると、社民党員かと勘違いする。社民党に帰ったらどうか。

三、共産党

「政府は拉致の確たる証拠を示していない。」「日本の調査の実力では袋小路に陥る心配がある」(森内閣当時の党首討論)「日朝交渉では日本側の提起があやふやだ。政府は『拉致の疑い』『拉致の可能性』と言うが、相手が国際犯罪を犯したというなら、よほど足場を固めていないといけない。七件十人のうち、北朝鮮の『拉致』と捜査当局で結論が出たケースはどのくらいあるのか」(十月二十六日付朝日新聞)、同日の記者会見でも「政府は(拉致の)確たる証拠を示していない。正常化にどの問題が不可欠か、どの問題は積み残しながら交渉を続けるべきか見極めが必要だ。拉致問題の全面解決を絶対条件にできる状況ではない。日本の捜査の実力では、袋小路に陥る心配がある」(十月二十六日付産経新聞)と述べた。A産経新聞(平成十二年十一月十四日付)の「どうする日朝交渉」「緒方靖夫・共産党国際委員会副責任者」で、緒方は「国際的に通用する道理が必要。警察庁の『七件十人』は確たる物証がなく状況証拠だけだ。捜査の到達点にふさわしい方法でないと解決につながらない」と述べた。位致された人は北朝鮮におり、拉致したのは北朝鮮国家、物証は北朝鮮にある。北朝鮮が白状しなければ、明々白々にならない。北朝鮮が白状しないことを見越して発言したのであろう。が、北朝鮮が認めてしまった。共産党も国民に対して、謝罪すべきである。

四、その他の政治家など

河野洋平

@河野外相(当時)は、平成十二年八月九日の参院外交・防衛委員会で、北朝鮮による日本人拉致問題に関連し、「人道的な問題、ミサイルを含む安全保障の問題を横において話をすべきではない。しかし一方で、国交正常化をどうしてもやらなければならない。不正常な関係を正常化することは、国の安全保障にも役立つ」(八月十日付読売新聞)と述べた。A被害者家族連絡会が平成十二年十月四日、河野外相と面会した。その時の粒致被害者らの発言について、産経新聞(十月六日付)は、「政府は我々を見捨てた」「拉致被害家族に怒り」との見出しで、「拉致を(日朝交渉の)か足かせ。と思っているのではないか」「期待していた話をほとんど聞けなかった。話がかみ合わないまま、時間だけが過ぎていった」「河野外相は拉致問題を『わきに置いているわけではない』としながら、国際情勢の変化のなかで、『(日本も)今、動かねばならない』『とにかく(北朝鮮との)話し合いを進めたい』と述べるにとどまった」「日本という国はおかしくなってしまった。昔の日本はもっとしっかりした国でした」などと述べている。国会で横路議員との質疑も、首相は「北朝鮮」と呼ぶが、河野は「朝鮮民主主義人民共和国」とも呼称、「娼朝」派の面白躍如である。

中山正瞳

中山(自民党、衆院議員)は、「日朝友好議員連盟」と「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」の会長だったが、今年三月辞任した。@平成十一年五月二十七日付産経新聞「私にも言わせてほしい」の「佐藤勝巳の批判に反論」で、「拉致問題は国交正常化交渉と並行して解決を図るべきで、この問題の解決を国交正常化の前提条件に据えると、逆にこの問題の解決が不可能になる恐れを感じます」、「二十年前に起こった拉致疑惑事件としてあくまで疑惑であり、二十年たってやっと事件のことを掲載した平成九年発行の『警察白書』でも、犯人は特定されていないのです」などと述べた。A平成十一年十二月十七日付産経新聞掲載の取材記事で、「拉致疑惑といっても犯人を特定しているわけではない。犯人が分かっているのは大阪の中華料理屈庖員を拉致Lた辛光沫ぐらいだ。北朝鮮側は、その辛光沫についても韓国によるでっちあげだといっている。外交は『疑わざれば進まず』だと思っている。だから、拉致議連が結成された直後から、私は『消息不明者』という言い方をした」、「堂々とお付き合いしてくれと韓国が頼んでいるのに、これで日本が後ずさりしたら、どうしょうもない。特に日本は軍事力も何もない。何があるかといえば、平和交渉しかない。『けしからん、日本人を拉致しゃがって』といって武力対立できるわけじゃないのだから」などと述べた。@Aの発言は、拉致の解明よりも国交正常化に軸足を置くものであると思われでも仕方があるまい。また、犯人は特定されていないと言うが、北朝鮮国家だと特定されている。今回の日朝首脳会談で、北朝鮮が拉致を認めた最大の理由は、米国の武力攻撃を恐れての日米分断と我が国の経済援助にあり、平和交渉が原因ではない。

菅直人

菅は民主党代表選候補者討論会で、「拉致事件で8人は誘拐殺人の可能性もある。真相究明と責任明確化、処罰と補償が一つのけじめだ。ミサイルの発射凍結延長と徹底した核査察受入れの二つを順守することが必要だ」(九月十九日付毎日新聞)と述べたが、以前次のように述べている。@平成十二年六月の南北首脳会談後、「南北トップの会談を機に、日本としてもまず、無条件で政府間交渉を再開する。その中で、日本にかかわる固有の問題にも取り組んで行くべきだ」(六月十六日付朝日新聞)A平成十三年八月政府が、日本政府に批判的な立場の政治集会に出席するため、日本への入国を申請していた北朝鮮の朝鮮労働党幹部ら八人の入国を拒否した際、「(日朝関係がうまくいっていない)今のようなときこそ、オープンにいろんな形で交流を行うべきではないか。官邸の自信のなさの表れだ」(八月四日付産経新聞)国民を拉致した国の幹部が、我が国内で政府を批判する集会に出席をするのを、拒否するのは当然ではないのか。

三木睦子

三木は、故三木武夫元首相、大勲位の夫人で、その影響力は大きい。北朝鮮が三木夫人を利用したのか、三木夫人の本音なのか、金日成主席を次のように称賛している。@平成六年七月九日、金日成北朝鮮主席死亡時、金主席について、「大変スケールの大きい人で権力的なところがない。恥じらいを持ち大変好感が持てる人だった」(七月十日付産経新聞)と述べた。金主席は、多くの政敵を倒して「金王朝」をつくった「専制君主」である。権力的なところがないとの発言には、驚きを禁じ得ない。A平成十一年九月下旬、平壌訪問後、産経新聞(十月七日付)の「三木元首相夫人睦子さんに聞く」で次のように述べた。-R訪問理由について、「故・金日成主席の招きで五年前(一九九四年六月)に、娘(高橋紀世子参院議員)と孫二人を連れて行ったときに、金主席が『これからも家族ぐるみのお付き合いをしましょう』と一言ってくださったんです。金主席はその二週間後にお亡くなりになられ、約束が延び延びになっていました。北朝鮮の対外文化連絡協会から孫あてに手紙が届き、間もなく、わたくしのところにも朝鮮総連の方が来られて、『では行きましょう』という話になったんです」。貴金容淳書記との会談内容について、「日本人拉致(らち)問題などは話しませんでした。お互いに水かけ論になってしまいまずから」など。「無法国家」の元首と家族ぐるみの付き合いをしていたと得意になって述べている。驚きとしか言いようがない。

五、川口外相と外務省

今回の日朝共同宣言の文言は、首脳会談前に外務官僚が書いたもので、首脳会談中に明白になった重要事項を反映しなかった。このような会談は、単なる儀式にすぎない。外務官僚は、国交正常化を最優先させ、小泉首相はそれに乗せられたのである。国交正常化ありきは外務官僚の従来からの方針だったことは、次の発言が物語っている。@安倍晋三官房副長官は今年三一月十八日の参院予算委員会で、北朝鮮の日本人拉致問題に関連し、「平成十一年当時に複数の外務省幹部が『(拉致された)たった十人のことで国交正常化が止まっていいのか』などと、拉致問題解決を軽視する発言をしたとされる問題について、『当時の外務省アジア局にそういうムードがあったのは事実だピ(三月十九日付産経新聞)と述べた。A外務省幹部は平成九年十月、記者との懇談の中で、北朝鮮から韓国に亡命した元工作員らが日本人拉致に関する証言をしていることに触れ、「韓国につかまった工作員だから、彼らは何をいうかわからない」とも述べ問題になった。

安倍副長官は今年三月十七日のフジテレビの番組で、北朝鮮の日本人拉致問題をめぐり、かつて複数の外務省幹部から「拉致問題を主張するから日朝の国交交渉が進まない。拉致問題を横に置いておくことができないか」と働きかけがあったと述べた。C川口順子外相は共同宣言後の九月二十日、衆院外務委員会で「北朝鮮当局が国内で日本人を拉致するのは領土主権の侵害にあたる」(九月三十一日付朝日新聞)と述べたが、「拉致問題を横に置く」と外務官僚が述べた安倍発言に対し、三月十八日の日本記者クラブの講演で「事実関係は知らないが、仮に議論の過程でそのような意見が表明されたとしても、それはそれでいいのではないかと思う」「いろいろな考えがあるし、一定の議論だけをべ1スに政策の議論をしてはいけないと思う」(三月十九日付朝日新聞)と、拉致軽視ととれる発言をしていた。外務省には、北朝鮮国家による拉致が、主権侵害との意識が薄く、北朝鮮の国営朝鮮中央通信が九月二十六日、「日本人数人が死亡したことをもって日本側が度を越した騒動を起こしていては、事態を収拾できない状況に追い込み得る」(九月二十七日付産経新聞)との論評に通じるものがある。竹内行夫事務次官は、これら外務官僚の発言記録は確認されていないと述べたが、鈴木宗男の発言はどしどし出した。川口外相は、右に示した発言をした官僚を徹底的に調査して、懲戒処分すべきである。外務官僚は、国民の信を失い、相手にされなくなっている。この原因の一つに、中国、韓国に迎合する河野など少なからずの歴代外相の対外か土下座?姿勢、娼中、娼朝政治家の横槍なども原因している。「勇将の下に弱卒なし」と言う。外相に「勇将」を充てなかった歴代首相の責任でもある。

六、学者、文化人

井上周八

国際チュチェ思想研究所理事長である井上立教大名誉教授は平成九年、朝鮮労働党中央委員会の黄長嘩書記の亡命事件について、「あれは韓国による拉致(らち)事件。東京でのセミナーでは三日間、黄書記の隣にいたが、そんな話は全く出なかった。北朝鮮は貿易で資本主義諸国から不利な対応を押しつけられ、経済的に厳しいが、それは前からのこと。ことさら『危機的』などということはない」(平成九年二月十五日付産経新聞夕刊)と述べた。この発言は、北朝鮮は常に正しいとの前提に立っている化石のような論理である。北朝鮮が我が国民の拉致を認めた現時点でも同じ考えなのであろうか。

関寛治

関立命館大教授(東大名誉教授)は、黄書記の亡命事件について、「最初はソウルの謀略だと思ったが、十三日に公開された自筆メモを見て考えが変わった。黄書記は北朝鮮に感謝の気持ちを述べている。これはか偽装亡命?ではないか。南北の話し合いに全力を尽くすため、やむを得ず亡命という形を取って南に入ろうとしたのではないか。世界に通用する主体思想を韓国人に理解させるため、高齢の黄書記は最後のかけに出たのだと思う」(平成九年二月十五日付産経新聞夕刊)と述べた。この発言も、井上同様、北朝鮮は絶対に過ちを犯さないとの前提に立つ化石の論理。黄書記のその後の行動を見ても考えは同じなのだろうか。

加藤周一

加藤は、朝日新聞(平成十二年七月二十一日付夕刊)の「夕陽妄語」で、「朝鮮半島の南北和解と緊張緩和は、金大中・金正日会見によって、画期的に前進した。そのことはいわゆる『太陽政策』が、経済的圧力や軍事的対抗手段よりも、緊張緩和のためにいかに有効であるかということを、明示したように思われる。少なくともヨーロッパには、そういう考え方が多く、相次ぐ北側(朝鮮民主主義人民共和国)との国交樹立(または回復)によくそのことがあらわれている。:::けだし日本の国交樹立交渉に著しい進展がみられないのとは対照的である。『人道的』な食糧援助を別にすれば、日本側の歴史解釈も、米国との戦域ミサイル防衛(TMD)共同開発も、緊張緩和への貢献とはいえない」などと述べてした。加藤は拉致に触れず、国交樹立ができない責任は、我が国にあるかのような妄言を吐いていた。また、「太陽政策」をした韓国では、位致問題が少しも解明されていない。

前田哲男

前回東京国際大教授(軍縮安全保障論)は共同宣言直後、「金正日総書記は、この種の国際事件を解決させるためのセオリーである『謝罪・処罰・再発防止』の3点をきちんと踏んでおり、日朝関係を真撃(しんし)に打開したいという大きなシグナルを出した。あとは日本側がこれにどのように応えるかだ。文句をつけようと思えばいくらでもつけられる。得られるものと失うものとをどう判断するかが関われている」(平成十四年九月十八日付毎日新聞)と述べた。金総書記が拉致を認め、謝罪したからといって許されるものではない。拉致に関する徹底的な究明、原状回復、補償を要求し、責任を追及すべきである。

小田実

作家の小田は共同宣言直後、「1963年に日本が韓国との国交正常化に歩み始めた時から北朝鮮とも国交回復していれば、拉致はなかった。小泉首相は拉致家族に国の政治責任を謝罪すべきだ。日本政府は拉致された人がどう死んだのか、誰をどう処罰したのか、北朝鮮に明らかにさせなくてはならない。この究明と(拉致被害者家族に対する)国家補償の追及が、国交正常化の第一歩だ。一方、日本は朝鮮半島を植民地化する国家犯罪を犯した。金正日(総書記)は少なくとも拉致について謝罪したが、日本は従軍慰安婦問題で謝罪も補償もしていない。今こそこれをすべきだ。日本が国家犯罪を清算せず、国交ができないために、北朝鮮の国家犯罪による自国の犠牲者を生んだ。日朝両国が国家犯罪を認め合い反省することが、これからの『国交』の土台となる」(平成十四年九月十八日付毎日新聞)と述べた。「野中広務」の項ですでに述べたが、拉致と日韓併合は本質的に違う。拉致は国家犯罪であり、日韓併合は合法条約である。

吉田康彦

産経新聞(九月十九日付)の「産経抄」は、「一貫して北朝鮮を弁護してきた学者の代表は吉田康彦(埼玉大教授)だろう」と述べている。吉田には、少なからずの抗議などがきたと思われる。自身のホームページに、「拉致問題に関する質問・反論への回答」を掲げ、その中で、「『北朝鮮の犯行ではない』とは口が裂けても言っていません」「疑念表明と『否定』は違います。しかし『否定的に』疑念を表明したことは認めます」「産経は右翼系の新聞で、編集方針として北朝鮮を徹底的に批判しており、私はこれまでにも数回、紙面で批判されています」などと述べている。拉致を報じた産経を「右翼系」と一一言うのは見苦しい。北朝鮮が拉致を認めたのである。「過ちを改めざる、これを過ちという」。潔く非を認めるべきである。それが教師というものだ。

和田春樹

和田は、朝日新聞(平成十四年十月七日付夕刊)で、「拉致解明と国交交渉は不可分」との見出しを掲げ、「13人拉致、8人死亡の報道に衝撃を受けた。むごい権力犯罪の結果である」「位致と死亡の状況の一層の解明、拉致に関与した辛光沫を含めた関係者の処分、遺骨の一層の捜索、墓参、生存者との家族の面会、帰国の実現が獲得されなければならない」などと述べた。しかし、『世界』(平成十三年一月、二月号)の「『日本人拉致疑惑』を検証する」の「まとめ」で、「直接的な根拠、当事者の供述、証拠品からして拉致事件として問題にしうるのは、辛光沫事件一件のみだということになるのである」と述べていた。「拉致、死亡報道に衝撃を受けた」だけでは済まされない。拉致された家族に対して謝罪すべきではないのか。「共産党」の項で述べたように、証拠は北朝鮮にあり、明々白々にならないとの前提で書いたのであろう。その北朝鮮が白状した。驚いたのであろう。

七、マスコミ

マスコミは、拉致を一斉に報じているが、産経新聞などの一部を除き、事件報道に冷淡だった。また、筆者が本誌(平成十二年十一月号)で北朝鮮の呼称について指摘したが、位致と「北朝鮮」の呼称に相関関係がある。例えば、かつて、産経新聞は、同一文(記事)の最初の表記は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、二回目以降は北朝鮮、読売新聞は、最初の表記は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、二回目以降は北朝鮮だったが、産経は西村員悟衆院議員(自由党、当時新進党)が拉致を国会で取り上げた平成九年頃から、読売は工作船が領海を侵犯した平成十一年頃から北朝鮮に統一した。が、未だに朝日は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、NHKは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と呼称している。

朝日新聞

朝日新聞は社説で、終始拉致された人の奪還よりも食糧支援に軸足を置いた論障を張ってきた。その一例を示す。@平成九年四月十日付「二つの『非人道』に取り組もう」との見出しで、一「拉致疑惑と食糧危機。日本としては、二つの非入道的な出来事のどちらにも、真剣に取り組まなければならない」と述べた。人口こ千万余の北朝鮮の現役総兵力は約百十万、二十人に一人が軍人。我が国の自衛官は約二十四万、北朝鮮と同じように二十人に一入が自衛官となれば約六百万となる。因みに我が国の敗戦時の海外総兵力は三百二十万余だった。北朝鮮の兵力がいかに膨大であるかがわかるであろう。北朝鮮は、数十年に亘り、大軍を保持し、かつミサイル、核兵器、化学兵器、生物兵器などの研究、開発にも予算を注ぎ込んでいる。食糧危機は、軍事偏重の結果生じたもので、天災でなく、人災である。政策による食糧危機と国家犯罪の位致を同列に扱うとはとんでもない主張である。因みに、同日付産経新聞の主張は、「拉致解明まで援助を慎め」との見出しで、「人道(食糧援助)には人道(拉致者の解放)で応じるのが筋というものだ」と述べている。A平成十年六月七日付で、北朝鮮の「行方不明者」ゼロ回答に対し、「食糧支援への慎重論が永田町に強まっている。日本の厳しい世論を北朝鮮側に伝えることは大切だ。しかし、感情的に対するだけで、事態が前進するわけではない。拉致疑惑の解明は急がねばならない。朝鮮半島の安定は損なってはならない。ふたつの目標は、あれかこれかではない。あれもこれもなのだ」と述べた。拉致の究明を感情的と言い、食糧支援に軸足を置いた言い方である。

因みに、同日付産経新聞の主張は、「北朝鮮に対しては拉致疑惑では一歩も引かず、政府が一体となってもっと食糧援助などで毅然とした対応で迫ることが、いま何よりも肝心である」と述べている。G平成十二年三月八日付で、政府が十万トンのコメ支援を決めたことに対し、「隣国の窮状に広い視野を」との見出しで、「日朝双方がたとえ一歩ずつでも歩み寄ろうとする機運を大切にしたい。信頼醸成に努め、国交正常化への話し合いを進めつつ、同時に解決の糸口を探る。肉親の拉致疑惑を訴えてきた家族の方々の心情は察するにあまりあるが、回り道のようでも、それが展望に通じる道ではないだろうか」と述べた。今回の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を白状した理由は、米国の軍事力と食糧危機などであって、コメ支援の結果認めたものではない。因みに、同日付産経新聞の主張は、「納得できる説明が全くない」との見出しで、「国家主権を侵害された側の日本が、いまの時点で『拉致疑惑解明の進展がない限り食糧支援には応じない』という方針を変更する納得できる説明はどこにもない」と述べている。C今回の日朝首脳会談の翌日、各紙は一面に大きな写真を掲げ、社説でも大々的に報じた。「産経」、「読売」、「毎日」の三紙と「朝日」には、本質において大きい差がみられた。

一面の写真は、「産経」、「読売」、「毎日」は、いずれも横田めぐみさんのご両親を大写しにし、お父さんが涙ぐむ場面だった。が、「朝日」は、小泉首相と金総書記が共同宣言を交換する場面だった。社説(主張)の見出しは、「産経」は「酷い、あまりにも酷い『正常化交渉』前に真相究明を」、「読売」は「『北』は平壌宣言を誠実に守るか」、「毎日」は「許し難い残酷な国家テロだ拉致究明なき正常化はない」など拉致の残忍さを述べ、拉致の究明を前提としていた。が、「朝日」は「悲しすぎる拉致の結末変化促す正常化交渉を」で、正常化交渉を促している。朝日新聞は、写真も社説も拉致の究明よりも国交正常化に軸足を置いている。D土井社民党党首の十月七日の謝罪について、朝日新聞は八日付で報じなかった。筆者は朝日新聞社(広報)に電話して、「報道すべきではないのか」と糾すと、電話を取った担当者は「そう思う」と答えた。筆者は「掲載しなかった理由を含め、掲載したらどうか」と述べた。筆者の意見を取り入れたとは思わないが、九日付で謝罪を報じた。しかし、見出しは「社民苦境」で、社民党の過去の大失態を厳しく追及していない。「同病相憐む」。社民党と同じように、朝日新聞も現況を「苦境」と考えているのではなかろうか。この際、今までの拉致報道などに関し、朝日新開も謝罪したらどうか。

NHK

NHKは九月二十九日(日)、「NHKスペシャル『拉致』元工作員が明かす実態をなぜ救えなかったか・家族が語る空白のお年」を放映した。産経新聞が、拉致を報じたのが昭和五十五年。NHKが、産経新聞が報じた十分の一でも報道し、世論を喚起しておれば、もっと早く解決していたかも知れない。今頃になって、「なぜ救えなかったか・家族が語る空白のお年」とは白々しい。

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